5月24日、三重歴史研究会は、津市羽所町のアストプラザ4階アストホールで、津藩祖・藤堂高虎を主人公にした歴史小説『下天を謀る』の著者で直木賞作家の安部龍太郎氏を迎えて講演会を開いた。講演には約250人が参加。「高虎公のいきざま」を演題に当時の国際情勢、徳川家康との関係性など、高虎の多面的な実像が語られた。

講演する安部龍太郎氏

分けて行われ、前半では藤堂高虎が生きた時代背景が語られた。
 当時の日本では、石見銀山の開発と灰吹き法の普及により、高純度の銀が大量に生産され、東アジアへと輸出された。その結果、貨幣の流通量が飛躍的に増加し、社会は農業中心から商業中心へと転換していく。商業・経済の主導権を握った戦国大名たちは、旧来の守護大名を押しのけて台頭。各地での城の建設ラッシュや絢爛な安土桃山文化も、この経済的繁栄の産物とし、「当時の日本の高度経済成長期」と位置づけた。
 さらに、ポルトガルと連携していたイエズス会は、布教と引き換えに通商や外交の交渉窓口としても機能。布教の裏には、大名を傀儡化し最終的には植民地にする意図もあったとし、宗教と経済が一体化して進んだ南蛮貿易の本質を解説した。
 このような国際情勢のもと、1587年に豊臣秀吉がバテレン追放令を出し、イエズス会の支配下にあった長崎の接収を命じたのが、高虎である。要塞化が進む長崎で、高虎は教会の没収、城壁の破壊、罰金の徴収という難しい交渉を見事に成し遂げた。安部氏はその背景に、高虎に国際情勢への見識の深さがあったことを挙げ、湿地に松杭を打ち込み地盤を固めるイタリアの港町で使われている工法を用いた今治城を海外事情にも明るかった証拠の一例として紹介した。
 後半では高虎の人物像と実績を深く掘り下げた。高虎の遺訓には「寝屋を出るより其の日を死番と心得るべし」とある。これは、死地に赴く覚悟を常に持てという教えであり、命懸けの任務を突然任されても動揺せず、知恵と機転で切り抜ける武士の心得を説いている。安部氏は、戦闘経験がない山本常朝が記した葉隠の「武士道とは死ぬことと見つけたり」という言葉は観念的な武士道とし、幾度も死線をくぐってきた高虎は、武士道を死ぬことと捉えていないとした。
 高虎は20歳で豊臣秀長に300石で登用され、180cmを超える長身の槍の達人として武功を重ねる一方、大名・築城に名手と自己変革を続け、朝鮮出兵では旗艦「日本丸」を任され、海軍の大将にもなっている。秀吉の死後は、徳川家康に重用され、江戸幕府黎明期に大きく活躍することとなる。
 その裏には徳川家康と、朝鮮出兵で疲弊した豊臣政権を立て直そうとする石田三成らの政治的対立があった。三成ら豊臣政権の官僚は、中央集権と重商主義による国家運営を続けようとしたが、一部の有力者に権力が集中し、貧富の差が大きくなってしまうため、家康や高虎は地方分権をベースとした農本主義的な体制を築こうとした。
 関ヶ原の戦いの後、高虎は津城・伊賀上野城の築城を任され、豊臣家を包囲する拠点の整備を進めた。清水港から津を経由し、伊賀へと続く補給路を確保。伊賀には11万俵以上の米を備蓄できる巨大な蔵も建設され、津城が海に面していたのも、太平洋航路を使った海運を意識した設計だったと語った。
 家康との信頼関係も深く、駿府城大手門前に屋敷を与えられた高虎は、家康と互いを気遣う書簡を交わしていたという。
 また、安部氏は、高虎が歴史小説の大家・司馬遼太郎氏の小説でしばしば悪役として描かれてきたことが現在も続く悪評の一端になっていることにもふれた。その背景には、敗戦から日本が立ち直るためにヒーローを描く中で、歴史的事実よりも物語の面白さを優先した結果と説明をした。一方、自分自身が小説を描く姿勢としては、「事実は事実として正確に把握した上で、判断していかなければならないと思う。私は高虎の小説を書かせてもらったことでそれが非常によくわかった」と高虎への深い敬意を胸に締めくくった。

 8月23日㈯に津市大門のホテル津センターパレスで、「三重大学教育学部附属小学校創立150周年記念式典・祝賀会」を開催。現在、参加する同窓生や関係者を募集している。
 同校は、明治8年7月8日に三重県師範有造学校附属小学校として創立。以来、豊かな教育の伝統の中で、地域の次世代を担う多くの児童を育成してきた。
 実行委員長の杉田真一さんは「本校が担ってきた足跡を振り返る機会にしていただくとともに、今学んでいるこどもたちが本校に誇りをもって、さらなる飛躍を遂げるものとなるように取り組んでいきたいと」と話す。
 当日は14時~記念式典。15時~祝賀会。会費は8000円。
 申込はこちらから

 5月14日、津市桜橋の三重県社会福祉会館で日本労働組合総連合会三重県連合会が、食料品の寄付を行った。
 同連合会は、4月26日に津市西丸之内のお城西公園で開催した第96回三重県中央メーデーで、フードドライブを初実施。参加した県内38組織約1200名の組合員と家族から、レトルト食品・菓子・飲料など約600点の食料品が集まった。
 三重県社会福祉協議会は、子ども居場所運営団体の要望と、支援を考える企業や団体をつなぐ「子どもの居場所」ニーズ・シーズマッチング事業を実施している。
 私鉄総連三重交通労働組合の加藤義明執行委員長から目録を受け取った同協議会の井村正勝会長は「県内でも大規模のフードドライブで、集まった食料品の数は桁違い。5~10の子ども居場所運営団体へ6月中に配布する」と感謝状を渡した。同連合会は、今後も社会貢献としてフードドライブを継続していく。

06月24日
火曜日

発行:株式会社三重ふるさと新聞

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