十夜橋ケ下の別格霊場

  歩き遍路には幾つかのルールがある。その一つが、『橋の上でお杖をついてはいけない』。

 伊予国大洲市の市街地の出はずれにある十夜ケ橋。弘法大師が修行中、どこにも泊めてもらえず止むなくこの橋の下で野宿したが、余りの厳しい寒さで一夜が十夜にも思えたと伝える別格霊場である。お大師さんの寝姿の像があり、四国霊場唯一の野宿修行道場として天下御免で橋の下で野宿できるよう布団も用意されている。

 この故事から橋の下には今もお大師さんが眠っており、杖をつく音で目を覚まさせてはいけないと、このルールができた。十夜ケ橋以外の橋にも全てこれが適用されるのは少し疑問が残るが、ともかくお遍路の守るべきルールとして生きている。これが結構難しい。お杖をつくと丁度4拍子でリズム良く歩ける。調子が乗れば頭の中は空っぽになり、機械的に歩むことになる。それで橋があってもついついそのままお杖をついてしまうのだ。反射的にお杖を小脇に抱えて通りルールを守れるようになるまで1週間ほどかかった。

 もう一つ、これは暗黙のルールだと思うが、『みだりにお遍路にきた理由を聞いてはいけない』。

 歩き遍路は、競歩のようなハイスピードで風のごとく歩くアスリート遍路は別にして、たいていは時速4キロ前後。従ってお寺や道中で顔を合わせたり、宿が同じになるケースが多い。それが何度も続けば自然とお互い声を掛け合い親しくなるのが人情である。

 しかし、誰も話しかける相手の名前も職業もお遍路の理由も聞かない。聞くのは基本的に、どこから来たのか、通しか区切りか、今回何回目か、これだけである。話が弾めばどこそこのお寺の宿坊、遍路宿が良かった、あそこの何々が美味しかったなど、旅の情報交換は盛んにされるが、お互い無名の一遍路同士としての関係を保っている。

 宗教的理由が旅の口実として活用された江戸時代も自由が保障されている現代も、ぼくらのように軽い気持ちでお遍路に来た者が大多数を占めているのは変わらないだろう。だがしかし通常の旅行ではあり得ない長丁場である。それなりに覚悟をし、中には重いものを背負っている人がいるであろうことも容易に想像がつく。

 旅の途中、こんな話を聞いた。

 長年の会社勤めで奧さんに苦労をかけ、定年になったら二人でのんびりと旅行を愉しもうと約束していたが、その前に奧さんを亡くしてしまった。遺影を胸に四国遍路に来て海の近くでは遍路道をはずれ、誰もいない岬で海に向かい今は亡き愛妻の名前を大声で叫んでいる人がいる。

 足摺岬は観音浄土の普陀落につながる海として昔から死に場所を求めて遍路に出た人が飛び下りた自殺の名所。公になっていないが昨年も10人ほど断崖から飛び下りた、と。

 実際、何かわけありだろうなと察せられるお遍路に会ったことが何度かある。

 それゆえ本人の側から話しだせば別だが、人の心に土足で踏み込むように名前や理由を聞いてはいけないのである。これは無名の者同士として濃厚な関係を築くことの忌避という心理的側面があることも否定できないが、本質的には『一期一会』の思いやりのルールだと思う。稀ではあるが、よほど意気投合したのかお遍路で出会ってグループを結成する人達がいるのも事実だが…。

 ただ名前がわからないというのは不便である。そこで女房との間では何度か会って親しくなった人に綽名をつけることにした。

 曰くロストおじさん(道をよく間違える)、名古屋の枠ねえさん(大酒飲み。ザルではなく枠と本人が豪語)、岐阜のマスクお姉さん(顔が半分隠れるぐらい大きなマスクをして歩く。再会した時「岐阜のお姉さん」と呼んだら「まぁお姉さんと言ってくれるの!」とやけに喜んでくれた)、ミスター53(歩き遍路53回目の僧)、法螺貝さん(修験道30年、札所のお参りではまず法螺貝を吹く)等々……綽名をつけるも結構愉しいものだ。

                                                                                                                                                    (西田久光)