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歩き遍路を青息吐息にさせる急坂の難所を『へんろ転がし』という。江戸期の旧街道の峠道には十中八九そうした難所があるし、参詣道は修行のためにあえて険しい道を選んである。お寺はお寺で200段くらいの勾配のきつい石段がごくごく普通にある。
歩き遍路は殆ど毎日のように大なり小なりへんろ転がしを体験しながら一歩一歩前に進む仕掛けになっているのだ。へんろ転がしで特に有名なのが、焼山寺、鶴龍1セット(鶴林寺・太龍寺)、岩屋寺、横峰寺、雲辺寺である。
中でも12番焼山寺(神山町)への参詣道は、1番から打ち始めると(四国遍路をすることを『打つ』という)通常3日目にあたる最初の第一級へんろ転がし。従って歩き遍路1年生にとって、果たして自分は結願まで1200キロを歩き通せるのか、今後を占う大きな試金石。その前日は戦々恐々なのだ。
ぼくらの事前の計画では2日目は無理せず10番で打ち切りその1・8キロ先に宿を取る。翌朝そこから11番藤井寺(吉野川市)まで7・5キロ歩いた上で12・9キロ先の焼山寺。更に麓の鍋岩地区まで標高差約500mを距離3・8キロで一気に下り計24・2キロの道程で3泊目の予定。ところが6番7番と進む中で他の歩き遍路と話すうちに、皆さん翌日に備え今日中に11番まで済ませてしまうことがわかった。
ぼくらの計画はどうも甘いのではないか?不安になってきて2日目の予定18・6キロから急遽11番まで延ばし26・1キロに変更。その分、3日目を16・7キロに縮め少し楽にすることにしたのだが……。
10番切幡寺(阿波市)の333段の石段で体力を消耗してすっかり重くなってしまった足を懸命に動かすと、間もなく視界が開け前方遥かに高い山脈が横たわっているのが見えた。藤井寺はあの山並みの麓。標高700mの焼山寺は藤井寺から更に13キロ近く山道をたどった向こうにある。肉眼では確認できないが、間違いなく眼前に標高500m程の壁となって立ちはだかる山脈より高いのだ。
切幡寺の石段で痛めつけられた体に心理的打撃が加わり、おまけにここまで最長でも5キロと札所の間隔が短かかったのに、今日最後の藤井寺までは9・3キロと一気に倍近い……足どりは重く、気も重い。
一級河川・吉野川の高い土手を横断して、日本一の広さを誇る中洲に向かう長い潜水橋の途中で女房の足は遂に悲鳴をあげた。「痙攣を起こしそう」というので、車1台分の幅しかない橋の途中に何カ所か設けられた退避帯で暫時休憩。
リュックを下ろし、トレッキングシューズを脱いで足を解放。例え10分でもこうして足を休ませると随分楽になる。またこの機に靴下を裏表ひっくり返して履くことにした。この方法はトレーニング中に女房が発見したもので、厚手の靴下の弾力性がほんの少しだけど回復するのである。
うんざりするほど広い中洲を抜け再び潜水橋を渡って、藤井寺についたのは4時6分。納経を済ませた時はもう40分を回っていた。
納経所で隣の学生が宿までの道順を聞いていた。20分はかかると言われ「もう足に余力がないですよ」と弱音を吐く。タクシーを待っていた門前駐車場では自転車遍路の娘さんが警備員から焼山寺道を自転車で通るのは不可能、車道では34キロあると知らされガックリ。宿に向かう途中タクシーの運転手に「焼山寺までは6時間くらいですよね」と尋ねたら、「それは達者な人の話。普通の人は8時間はみておいた方が良いのでは」と応える。
宿で出会った長野の人は「なべいわ荘に予約を入れたら、前日はどこに泊まるのかと聞かれ7番の宿坊と答えたら、お宅初めてでしょ、7番から1日で来るのは無理と断られた。急遽11番近くで宿を探したがどこも満員。少々離れてはいるけどここが取れてホッとした」と話す。藤井寺から宿まではどうしたの?「とても歩いて戻る気力はなく、タクシーを呼んだ」と。
恐るべし焼山寺道、恐るべし切幡寺の333段、加えて11番までの9・3キロであった。
2010年11月1日 PM 12:05
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