修行大師像…73番・出釈迦寺より

「そんなに懺悔せなあかんようなことあるの?」

還暦を機に四国歩き遍路に挑戦すると女房に伝えた時、即座に返ってきた答えがこれである。

お遍路イコール懺悔とは全く思いもよらず、一瞬たじろいでしまった。確か修験道では「懺悔懺悔、六根清浄」と唱えながら山中をめぐる。女房の中でそのイメージがお遍路と重なっているのかとも思ったが、人間60年も生きておれば懺悔すべきことの一つや二つはあって当然と胸の内で開き直り、女房の問いかけは無視することにした。

「半年ほどトレーニングしてから出かける。無理せず50日ほどかけて回る。費用は1日1万円が相場だそうだから50万ちょうだい」と一方的に告げた。

「私はそんなしんどいの行かへん。一人で行って」 大いに結構。その方が気楽だし、万一道中で宿がうまく取れないことがあっても男一人なら寝袋一つあれば野宿で凌げる。多分、少しトレーニングすればやれる、はずだ。

17歳の夏休み、テントと毛布1枚、飯盒、固形燃料をキスリング(山用リュック)に詰めて背負い、行く先々で米とオカズを調達して自炊しながら20日間にわたり北海道を旅したことがある。横長のキスリングを蟹の甲羅に見立て、後ろ姿から当時『カニ族』と呼ばれた時代だ。やっていたのは大学生ばかりだったので旅のあいだ年齢を偽って大学1回生で通した。これがなかなか愉快だった。

60歳を区切りにする最大の理由は、そうした旅が体力的にまだどうにか可能な年齢。人間、大名旅行しかできないようになったら終わりかも……そんな思いをずっと持ち続けてきたからである。

新聞記者の仕事を始めてから34年、夕食を食べる時間が通常9時、10時。肥満防止には8時までに食事するのが良いと知ってはいるが、現実ほとんど不可能なのだ。その上、自宅から会社まで車で玄関横づけの毎日。これでメタボにならないわけがない。

1日1万歩が健康を保つ目安だという。ある時、いったい毎日どれくらい歩いているのか万歩計をつけてみた。今日はよく歩いたなと思ってもせいぜい3500歩。ひどい日にはわずか600歩!愕然とした。

どう見ても堕落である。人類は二足歩行により手の自由を獲得したところから進化をはじめた生き物なのだ。今一度、二足歩行の原点に立ち返り、歩いて歩いてひたすら歩き、肉体の大改造を果たした上で、人生の残された時間を再スタートさせなければどうにもならない。これは一種の強迫観念になっていった。

とは言え、何か目標がないと短期間で肉体改造をはかれるほどハードな歩行は難しい。良い方法はないか?思い至ったのが四国霊場88カ所巡礼。およそ1200キロに及ぶ世界最長級。しかも無限大『∞』を意図したという循環路。弘法大師空海の修行の足跡を訪ねる世界でも稀有なこの巡礼路は、修験者や僧侶が平安後期から歩き始め、江戸初期には庶民にも広がった。これまで無数の日本人がそれぞれの理由で歩き、今も歩き続けている。きっとそこには人々を惹きつけてやまない大きな魅力があるに違いない。

敬虔な宗教心からでも、人生の重い苦悩を背負うでもなく、ただ単に二足歩行・肉体改造という甚だ軽い動機で申し訳ない気もしたが、お大師さんの心は広いと勝手に決め込んで、800年余も日本人が歩き続けてきた列の末席に自分も加わり、その魅力を体感してみたいと思った。

女房のひと言で単独行が確定し俄然ファイトが湧いてきた。ところがそれから数カ月して、「やっぱり私も一緒に行くわ」ときた。

一人で行かしたらそのまま帰ってこないかもと懸念したのか、それとも行き倒れになりはしないかと心配になったのか、理由はわからない。知りたくはあるがヘタに詮索して藪蛇になってはいけない。聞かぬが花……これも夫婦が長年一緒にやってゆくためのテクニックであろう。

ということで、ぼくらは夫婦で『歩き遍路』をすることになった。

(本紙会長・西田久光)