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前日の雨と打って変わって5日目の朝は快晴。ぐっしょり濡れていた靴は、宿のおばあちゃんが中に新聞紙を丸めて入れ、外も同じように新聞紙でくるんでくれたお蔭で随分と乾いている。前夜、足の疲れが取れるからとビワの葉を焼酎に漬け込んだおばあちゃん特製の自家薬も頂き、ふくらはぎに塗り込んだ女房は「効いたようだ」と足の調子も良さそう。
今日は14番常楽寺、15番国分寺、16番観音寺、17番井戸寺と徳島市国府町地内の4カ寺を周り徳島市街地のオリエントビジネスホテル泊まり。焼山寺道の疲れを取るため16・1キロの楽な行程にした。名西旅館花からじきに鮎喰川の土手道に出ると石のお地蔵さん。花のおばあちゃんへの感謝の気持ちと旅の安全を祈って二人で手を合わせた。
常楽寺で女房が眼鏡を忘れ、花に同宿した一国打ちの東京中年3人娘に拾って頂くというハプニングがあったものの、まずまず順調に11時半には今日の打ち止めの井戸寺に到着した。
お参りを済ませ境内の一角にあった御影石の椅子に腰を下ろし、お茶を飲み煙草をくゆらせる。気温は20度を超え少々暑いが残りは宿まで8・4キロ、楽勝である。トイレに行った女房は用を済ませて戻る途中、地元の人らしきおばあさんと何やら話し込んでいる。
しばらくしてぼくのところに戻り、握った手を開いて見せた。百円玉が二つ。現金のお接待である。本で読んでそういうこともあるとは知っていたが、実際に受けてみると新鮮な驚きだった。先日、50年来の友人を亡くしたそうで「お参りの線香代の足しにして欲しい」ということらしいが、見ず知らずの人から、お金を頂くという経験は生まれてこのかた女房もぼくも初めてである。
そこへこれまた前夜花に同宿した初遍路通し打ちという岐阜県の年配男性が現れた。彼にたった今の出来事を話す。「やっぱり本当にあるんだね」と感心することしきり。
おばあさんはまだ境内を立ち去らずこっちを見ている。それに気づき三人で頭を下げ会釈すると、ぼくらの方に近寄って来た。女房と再び話し始める。ぼくは何か二人の話に入ってはいけないような気がして、岐阜のおじさんと宿の情報交換をすることにした。20分近く話していただろうか、おばあさんは「聞いてもらって少し心が穏やかになった」と、女房だけでなく傍らにいただけのぼくらにも千円ずつ差し出した。先の200円と合わせ計3200円……。
お遍路には『お接待は断ってはならない』というルールがある。歩き遍路の例外は、「車に乗せてあげよう」これ一つ。この場合お礼を述べ「歩き遍路ですので」と丁重にお断りする。話の相手をした女房はともかくぼくらまで頂くのは気が引けたが、ルールに従い遠慮なく頂くことにした。「ありがとうございます」と受け取ると、おばあさんは満足げな面持ちで境内を後にした。
いったいどんな話をしていたのか?女房に聞くと、おばあさんの友人は自転車で小川に転落して亡くなったという。打ち所が悪かったのか、心筋梗塞か何かの発作に襲われたのか、原因は知らない。だけどその道はいつも自分の家に遊びに来る時に通る道。きっとその日も遊びに来る途中だったに違いない。私の所に遊びに来ようとしなければ、こんな形で死なずにすんだかも知れない。遺族もそのことを分かっているはずなのに、私を気づかって一言もふれようとはしない。それが却って辛いのだと。
おばあさんの話は何度も何度も同じところを回る。女房は応えようもなく、ただただ聞いて頷くばかり。おばあさんは自分の家族や近所の人には苦しい胸の内を明かせない。田舎のことである。話せばいずれ遺族の耳に伝わるに違いない。せっかく私の気持ちを気づかってくれているのに、それでは申し訳がない。
誰かに話したいけど話せない……この苦しみに悶々と耐えてきた。それが次の瞬間にはこの寺この町から去って行くお遍路さん相手だからこそ話せるのだ。
遍路にはそういう役割もあることを知った井戸寺である。
(西田久光)
2010年11月1日 PM 12:13