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1番札所霊山寺から88番大窪寺まで全行程約1200キロ。しかも山頂付近や山腹にあるお寺が多い。一気に通しで歩くとなるとこれは半端ではない。若い人ならともかくこの年齢で夫婦揃ってメタボ体型。ぶっつけ本番は余りに無謀、3日ともたないだろう。
認知症の母をグループホームから自宅に迎える大型連休までには四国から戻ってこなくてはいけない。本番は切りの良い3月1日1番から開始。88番結願まで49日。50日目の4月19日に空海が眠る高野山奧の院にお礼参りして帰宅。歩きトレーニングはぼくの60歳の誕生日10月2日の前日1日から始め5カ月と決めた。
さて問題はトレーニングコースである。交通事故に遭っては元も子もない。車道はできるだけ歩道のある所を歩く。また、平坦な道ばかりでは本番の役に立たないので、アップダウンを組み込むこと。そこでまず始めは一志町小山の自宅から農道を北上、一旦旧道に出て波瀬川の土手を歩き、県道を横断しておやつカンパニー本社前から高野団地入口の坂を登り、旧町営墓地で休憩してUターンする約8・5キロのコース。同じ道ばかりでは飽きるので南進して小山台から虹が丘団地、更に嬉野中村川の土手道を歩くコースも設定。距離は徐々に延ばし1日30キロは歩けるだけの足を作ることにした。
正直、8・5キロは軽~く足ならしだとタカをくくっていた。確かに歩くには歩けた。が、家に戻ったらもうグッタリで何をする気も起こらない。それでも2週間続けたら体重が2キロ落ちた。何度もダイエットに失敗した経験からするとこの程度は誤差の内とはわかっていたが、もう20年以上も82・5キロと80キロオーバーで高値安定してきた身としては一条の光明が射したようで、トレーニングの励みになった。
10月下旬には10キロに距離を延ばしたら全く予期せぬことが起こった。歩行中は余り感じないが、家に戻るとマメも出来ていないのに足の裏が痛いのである。横になって休憩した後は更に痛みはひどくなり、恐る恐るソロリソロリとしか歩けない。薄い靴下は全く用をなさず、厚手のトレッキング用を常用する始末。革靴を履いて歩く時は歯を食いしばって、もう必死。
挫けそうになったが、体重は遂に80キロを切り、更に10日程で1キロずつ落ちて行く。ぼくより効果の出ていなかった女房も目に見えて落ち始めた。こうなると現金なもので足裏の痛みは問題ではない。それにも徐々に慣れてきて、11月下旬には15キロを突破。ここで2つ目の壁にぶち当たり最初かなりきつかったが、これにも慣れて、暮れには18キロが定番となった。
この頃、へんろ道保存協力会から遍路専用の地図帳を取り寄せ行程プランを策定。予定通り49日結願、1日平均25キロ、最長32・6キロとなった。
正月4日からは本番並にぼくが5キロ、女房が4キロのリュックを背負ってのトレーニング。翌5日には延べ1000キロの大台を超えた。家から会社まで大外回りで往復32キロもテスト。3時を過ぎると女房の足は時速3キロまで落ちてヘロヘロになりながらも完歩。この距離も何とかなりそうだと自信ができた。
最も標高の高い910m66番雲辺寺の上り10キロ・下り同じく10キロを想定し初めて草生の天神さんから819mの経ケ峰に登り、また長谷山には5回も登ったが、回を重ねるごとに時間が短縮できた。
ただ、強い季節風だけは何度経験しても慣れなかった。一定方向から吹いてくれたらまだましなのだが、一志・嬉野の地形の関係か風が次々に向きを変えて舞うのである。風に揉まれると足の疲労度は平常の3倍もある。雨の中を歩くのも辛いには辛いが強風はその比ではない。これが歩き遍路最大の難敵と知った。
ともあれトレーニングで歩いた距離は延べ1500キロ。本番を遥かに超えていた。体重は夢のような7キロ減。女房もそれ近く落ちていた。丸3年薬を飲んでも治らなかった高血圧も正常値!お遍路に出かける前からたっぷりと御利益を頂いたのである。
2010年11月1日 PM 12:02
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