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藤井寺の境内の端に『焼山寺みち』と刻まれた小さな石柱が建つ。それが藤井寺の裏山から始まる地道の参詣道の入口である。
ここの標高は40m。焼山寺が700mだから標高差は660m。距離12・9キロ。この間、6カ所のへんろ転がしがあり、内4カ所が上りで2カ所が下り。
入口から10mほども進むと丸太で土留した急段で一気に標高差200mほどを登る第1のへんろ転がし。更に500mほどまで上がる第2の転がしを経て、第3の転がしは折角500mまで上ってきたのに一旦急坂を下る。第4のへんろ転がしで再び上り焼山寺より高い浄蓮庵745mまで辿りついたら、今度は第5の転がしで400mまでまた下る。そこから第6の難所にして最も長くきつい、高いビルの非常階段を上るような山道で、漸く焼山寺に到達するのである。
上りはどんなに急でも一歩一歩踏みしめれば確実に登れるが、問題は下り。消耗した足はいわゆる『膝が笑う』状態で踏ん張りがきかない。まして雨天時や雨上がりの下山では滑りやすく細心の注意が必要だ。
人間の足のギアは上りから下りに簡単に切り替わってはくれない。アップダウンの繰り返しがどれだけ足にダメージを与えるか、へんろ転がしとは言えないような、まあまあの坂道でも日に3回も4回も繰り返すといかに堪えるか、49日間の歩き旅でこの後何度も体験させられた。
ことほど左様に焼山寺道は半端ではないのである。
夜中にかなり激しく雨が降った。幸い明け方には上がったものの曇り。道の状態は期待できそうもない。おまけに寒い朝だった。7時、前夕頼んでおいたタクシーで藤井寺に向かい、7時23分、気を引き締めて登り始める。すぐ第1のへんろ転がし。実際目のあたりにするとトレーニングで経験した経ケ峰の急な所と同じ程度なので何とかなりそうだと一安心。
間もなく後ろから60代半ばぐらいの男性が追いついてきた。いかにも登り慣れた様子。リュックは背負っていない。「夫婦で歩き遍路ですか」と向こうから声をかけてきた。「初めてで今日が3日目です」と答えると、「途中まで案内しましょう」と言う。
聞けば標高440mの長戸庵から1キロほど先まで約4キロ区間の保全整備活動をしている地元ボランティアグループの一員。雨の日以外はほとんど毎日登山のトレーニングと管理区間の点検を兼ねて登っているという。道理で足が軽いはずだ。ガイドの申し出は願ってもないことだった。
自分たちで修理した路傍の石の地蔵さんの伝説や、眺望が開けた時の下界に広がる町の説明、部材を運んでベンチを設置した時の苦労話、焼山寺までの間にトイレがどことどこにあるか……等々ありがたい情報をいっぱい頂いた。女房は少々閉口気味だったが、へんろ転がしの丸太段の体力を消耗しない昇り方のコーチまでして下さった。
「ともかく先は長いからスピードよりも如何に体力を温存できるかが大事。そうしないと結願まで辿り着けないですよ。競争じゃないんだから自分たちのペースを守って」
素直に耳を傾けたが、歩き遍路にとってこれが如何に玉条であるか、その時はまだ知る由もなかった。
12・9キロの焼山寺道は6度のへんろ転がしに加えて、上りで汗だくになった体が止まれば忽ち冷えて寒い悪条件。噂通りの過酷な遍路道であったが、どうにか6時間で克服した。
坂道に弱い女房もよく頑張り、今後の自信に繋がった。が、最大の収穫は、こうした遍路道が行政だけでなく、地域住民の皆さんにも支えて頂いていることを知ったことだ。
大雨が降れば地道の山道は一溜まりもない。それを復旧し、あるいは山中に休憩所やトイレを設置する困難な作業……歩き遍路が足で踏み固めるからこの道があるのではない。それこそ何百年にもわたる地元の方々の汗と経済的負担があればこそなのである。感謝を忘れてはならない。
『地元の人のアドバイスには素直に従うこと』
ぼくらは一つのルールを作った。
(西田久光)
2010年11月1日 PM 12:06