旅情誘う江戸期の船形丁石

 焼山寺道の途中から出だした鼻水は、杖杉庵から更に下ると一層ひどくなってきた。鼻の穴から垂れると思った瞬間、リュックにぶら下げたタオルで拭く間もなくツツーと滑り落ちる。粘り気が全くない。

   嫌な予感……これはきっと寒さのせいだと自分自身に言い聞かせた。転倒の危険がつきまとう長く急な下り坂なのに鼻水でどうにも集中力が保てない。「膝がガクガクや」と悲鳴をあげる女房と足元注意の声を掛け合いながら、どうにか無事第3夜の宿、なべいわ荘に着いた。元住友産業の保養所、ロッジ風のしゃれた建物だが、見渡せば周りは杉ばかり、おまけに館内禁煙。しまったと思ったが、後の祭りである。

   部屋に荷物を入れくつろぎたいところなのに止むを得ない。煙草とライターを手に玄関の外に出ると、リュックを担いだ60代半ばくらいの男性が宿の親父と話していた。どうやら飛び込みで今夜の宿を頼んでいる様子。満杯だと親父は受付けない。相部屋で良いからと食い下がるが、頑として応じない。結局、そう遠くない所に素泊まりのみの宿があるからそっちへ行ったらと勧められ、肩を落としながら出て行った。

 目が点になった。なべいわ荘は冬場は休業、新年の営業開始は3月1日。従って今日で3日目である。前日はたった1名だったのに今日は一挙に満員の15名だとか。宿が取れない……これは他人事ではない。由々しき問題である。

 ものの本によれば年間を通じ春遍路が7割くらい。中でも3月10日ぐらいから始める人が多く、宿が取れない場合もあるから予約は早めの方が良いとあった。ならば人より10日も先んずれば──寒さ対策が必要にはなるが──まず大丈夫だろうと予測した上で3月1日出発にしたのである。その自信が揺らぎだした。

 不安を胸に、ともかく風呂に入った。冷えた体が温まり出したとたん眼がかゆい。これはもう否定すべくもない。20年来のスギ花粉症が今年も始まってしまったのである。風呂から上がったらまたしても鼻水。タラタラと流れ止まらない。ティッシュで鼻栓をするがじきにグッショリと濡れてくる。最悪の事態だ。

 予定より30分ほど遅れて夕食になった。15名が食堂にそろい賑やかである。大阪から来たという重役タイプの恰幅のよい男性、歳は70前後か。4回目の歩き遍路とか。「今回はダイエットが目的だけど、風呂あがりにもう酒を呑んで良い気分。なぜか遍路に来ると酒はうまいし御飯もうまい」上機嫌である。更に燗酒を注文。つられてか隣の席の年配の人がビールを頼む。それを受け宿の親父は「はいビール、燗で1本ね」。「おいおいビールを燗してどうするの」と大阪の重役おじさん。夕食が遅れたこともそうだが、いきなりの満員に宿側が泡を食っている。照れ笑いしながら頭をかく仕種がまた可笑しくてみんな大笑い。一気に場が和み、これをきっかけに客同士の話が弾んだ。

 そこで宿の取り方を聞いてみた。プレッシャーをかけられるのが嫌だと当日の朝に予約を入れる人、前日の人。いずれも何回目かのリピーターだ。反対に30前後の女性遍路は自分にプレッシャーをかけるため1月先まで取ってあると言う。今回3回目の初老の人は、6日目に予定の宿が満杯でコース変更余儀なし、こんなことは初めてとボヤク。

 もう疑いようもない。3月1日組は予想外に多いのだ。宿の親父に聞くと、こんな年は余りない、取り敢えず最後まで予約を取ってしまい、都合が悪くなったらキャンセルすれば良いと簡単に言う。遍路相手の商売はキャンセル慣れしていてそういうものかとも思ったが、初日の森本屋のおばちゃんの顔が浮かび、とてもそんな気になれない。

 部屋に戻ってから女房と相談。既に予約してある13日分から更に1週間追加することにした。ところが谷間の悲しさ、電波状態が悪い。声が途切れ途切れで話が通じているのか心許なく4日分取った?ところで諦め翌日の宿からかけ直すことになった。文明の利器がどこでも通用すると思ったら大間違いだと改めて痛感させられた。

                                                (西田久光)