全39世帯の漁村・池ノ浦

 青龍寺の境内には10人ほどの先客。その中にミスター53の姿もあった。
 次の37番岩本寺へは約60キロ。須崎市街に向かうには10数キロも深く切れ込んだ浦ノ内湾を間に内陸側のルートと、半島をそのまま進む外海側の横浪スカイラインの陸路2つ。へんろみち保存協力会の地図帳には記載がないが、宇佐大橋の下の港から湾奧まで海路10キロを結ぶ渡し船もある。 お大師さんも道のない難所は船を使われたからと、歩き遍路も渡し船の利用はOKだ。のんびりと10キロもの船旅は魅力的。ミスター53から勧められたが、既に池ノ浦に宿を取ってある。
 「スカイラインは海抜150mぐらいの所を通りアップダウンがあって大変だよ。宿はびっくりするほど下。明日の朝は車で上まで送って貰った方が良い。景色は抜群だけどね」
 湾の最奧部で内回りルートと合流するまで横浪スカイラインルートは16キロ。途中、池ノ浦への分岐点まで8キロ強。距離的にはしれているが稜線近くを固いアスファルト道が緩やかに上下しながら大きくのたうつ。暫く収まっていた腿の付け根まで痛みだし、左足を半ば引きずりながら休み休みの歩行。 眼下に展がる岩礁と山の緑と紺碧の海が織りなす海景がなかったら心が折れてしまいそうだった。やっと分岐点に着くが、とどめの一発。集落までグネグネの急坂が2キロもある。一歩下りる度に激痛が走り、泣けてきた。
 5時前、青息吐息で旭旅館に到着。両足の小指のマメは血マメに変わり、そのうえ左足の小指は爪がグラグラ浮き上がり、触ると飛び上がるほど痛い。「大丈夫…」女房も心配する。風呂上がりに傷バンで爪を固定、どうにか歩けそうだ。
 一安心したところで女房が冷たい飲み物を買いに外へ。やがて戻って来るなり「お父さん、お父さん、子供らが何人も路地で遊んどる!」。とんと見なくなった光景に興奮気味だ。
 食卓には肌が金色という初体験の魚・ヌベの刺身、オコゼの煮付け、トビツキ蟹とニシ風の貝の湯がき、オプションの大振りの伊勢海老の刺身……地物色豊かな料理が並び、嬉しくて疲れが一気に吹っ飛ぶ。
  小太り丸顔で愛嬌のある女将は女房と同い年。今日の食材、台風、先日のチリ津波から、女房が目撃した子供たちへと話が弾む。
  池ノ浦は伊勢海老漁を中心に素潜り漁もやる全39世帯の小さな集落。この頃はアワビ、サザエが少なくなったとこぼすが、口ぶりに深刻さはない。単価の高い魚介が池ノ浦漁師の漁の対象、それがしっかり地域経済を支えているようだ。
  長男は名古屋にいる。家の跡継ぎは二男。漁師と、釣り客・歩き遍路が相手の民宿を兼業する(池ノ浦にはもう一軒民宿がある)。女将は同じ須崎市内だが山間地の出身。息子さんの嫁は公共交通機関の発達した都市部の出身で、マイカー不要、免許いらずの生活をしてきたため只今自動車学校に通い中。嫁不足とは縁のない地区らしい。
  全39世帯どの家にも子供がいる。更に年内に3人も生まれる予定。スクールバスで通う小学校の全校生徒の6割は池ノ浦の子供たちで占めているのだとか。
 地方はどこも少子高齢化に悩まされている。郡部だけでなく、地方都市も郊外型大型店によって中心市街地の商店街はシャッター通りとなり、街は見事に破壊され続けている。資本の論理で動く郊外型大型店は採算が合わなくなればサッサと逃げ出す。つきるところ街に何の責任も想いも持ってはいない。生物の多様性を失えば地球環境が危うくなるように、小商いが衰退すれば街は活力を失う。
 池ノ浦の元気は、豊穣の海に支えられた産業があるからに他ならない。お遍路の中で限界集落を数多く見てきた。どんなに空気や水がきれいでも、暮らしが成り立つだけの経済力がなければ、人は世代を継いでそこに住み続けることはできない──池ノ浦で自明の理を再認識させられた。
 明朝はスカイラインの分岐点まで車で送ってくれるという。女将の笑顔、子供たちが路地で元気に遊ぶ池ノ浦の光景が、いつまでも続くことを祈らずにはおれない。   (西田久光)