迫力のジンベエ…土佐清水市以布利

  3月22日晴れ。風は弱く気温も寒からず暑からず、打ち始めて2回目の穏やかな日。6時35分出発。
 『安宿』から38番金剛福寺(土佐清水市足摺岬)まではへんろ地図帳では22・4キロとなっているが、安宿の親父さんは「あれは誤り、28キロある」と主張する。距離はコースの取り方で変わってくる。どちらも正しいのかも知れない。
  足摺コースは距離は長いが変化に富む。心理的には単調で直線の多い室戸街道よりはるかに楽である。
 久百々の町を抜け、大岐の砂浜を渡り、以布利に入る。9時33分、漁港近くの小公園でトイレを済ませ休憩していると、小柄なおじさんが話しかけてきた。
 「どこからきた?」
 「三重県津市」
 「津市?三重県は鈴鹿サーキットとシャープの亀山しか知らんな」
 「県庁所在地です」
 「ふ~ん」
 「三重県には神宮がありますよ」
 「そうそう伊勢神宮、行ったことある」
 津はおろか、お伊勢さんまで影が薄いのにはちょっとがっくり。
 「せっかく、以布利に来たんやからジンベエザメを観て行け。すぐそこでタダで観れる。昨日は愛知県の豊田市の女の人が観ていった。三重県は愛知県の隣やろ、観てかな損や。わしが案内したろ」
 有無を言わさぬ勢いである。愛知県人が観たからと言って三重の人間も観るべきとは変な理屈だが、確かにこれは観なきゃ損だ。ぼくは『サカナへん』を自称する海人族の末裔。ではあるが、生きているジンベエザメに未だお目にかかったことがない。またとないチャンスである。公園の横にじんべえ広場と看板の掛かった建物があり、その奧が大阪海遊館海洋生物研究所以布利センターだった。
 「三重県から来たお遍路さんや、ジンベエみせてやって」おじさんはセンターの女性職員にぼくらを得意気に紹介し終えると、悠々と引き揚げる。集落の中の遍路道を通る歩き遍路をつかまえては自慢のジンベエザメに案内するのが日課のようだ。ここにもふるさと大好き人間がいた。
 31m×19m、水深5mの大水槽に付近の海で捕獲された雌雄2匹、いずれも5mを超す巨体のジンベエ、それにマンボウがゆったりと泳いでいた。ジンベエは海遊館随一の呼び物。こんな所にスペアが用意してあるとは知らなかった。地元貢献の一環だろう、通常月一度の無料公開を、NHK大河ドラマ『龍馬伝』関連イベント期間中、毎日無料公開の大サービスである。
 10時から給餌タイム。これも観なきゃ損である。元々観光用に造られた建物ではないので見学スペースは狭い。そこに家族連れが次々と入ってきて30人ほどでいっぱい。餌はイカ。スコップで水面に投げ入れられる。その刹那、満を持していたジンベエは大きく口を開けグァバッ!と音を立てて海水と共に丸ごと一気に吸い込む。「バキュームや!」女房が目をむく。魚体を縦にして水面を睨み、再びグァバッ!ジンベエの食餌は豪快そのものだった。そこへいくとマンボウはおちょぼ口で、チュパチュパと赤ん坊が哺乳瓶の乳首をすするよう。この対照が実におもしろく見飽きなかった。おじさんに感謝だ。
 ついでに活気のある魚市場も覗き、都合30分も道草して出発。以布利の町を抜け、地磯の遍路道を通り峠を下っていると、登ってくる群馬のおばさんと再会。神峯寺のふもとの遍路宿浜吉屋以来9日ぶりである。既に金剛福寺を終え39番延光寺(宿毛市平田町)に向けて、足摺岬西回りの竜串・月山コースより20キロほど短い東回り打ち戻りコースを選び、戻って来るところだった。浜吉屋では膝が痛いと言っていたが、何とか大丈夫のようだ。
 ジンベエザメ情報を伝える。彼女は往きに見逃していた。あのおじさんと出会えなかったのだ。「ありがとう。ぜひ寄ってゆくわ」と元気に手を振って遍路道を登って行った。
 11時5分、県道27号から窪津漁港手前の地磯に降り磯の匂いをたっぷりかぎながら昼食。ここまで来れば残り10キロ弱、サンドイッチがうまい。(西田久光)