

検索キーワード




歩き遍路の頼りは地図帳と道標、それに電柱やカーブミラーなどに貼ってある矢印付きの遍路シール。だいたい眼の高さの位置にあるが、疲れてくるとどうしても目線が下がり見落としてしまう。これが道を間違える最大の原因。ただ道標の中には稀に表示が曖昧(ひょっとすると悪戯かも)で迷ってしまうこともある。
窪津から津呂に向かう途中、県道27号の脇の遍路道から顔の半分が隠れるような大きなマスクをした40代後半くらいの小柄な女性遍路が出てきた。キョトンとしている。以布利の公園で休憩する直前、ぼくらの数十m先を歩いていた人だ。金剛福寺から打ち戻したにしては早すぎる。
「遍路道の標識どおりに来たはずなのに戻っちゃった。ウッソォ!なんで!」
岐阜の人。区切り打ち。ここまでは一人旅だが足摺岬の宿で友人と合流し残りは二人旅とか。足が遅く時速3キロなので一日20キロ程度しか進めない。「それなのに逆戻りとはひどい…」と落胆するやら怒るやら。
なぐさめて一緒に歩く。確かに遅い。次第に離れてしまった。
しばらく行くと満開の桜の木の下にへんろ小屋『心のふるさと金平』。宿泊可の善根宿(無料)である。軒先に縁台、テーブル、籠の中に柑橘、灰皿、流し台や洗濯機、別にトイレ。屋内には小さなお大師さんの像も祀ってあり、冷蔵庫、食器、畳、布団、椅子とテーブル、柑橘、ストーブまである。トイレをお借りして休憩していると軽自動車が停まり、降りてきたおじさんが金平さんご本人。新しい家を建てたので、ここをへんろ小屋にした。「柑橘でも食べてゆっくり休んでいって」と言い、屋内をざっと見渡すと風のように去って行った。善根宿を個人で提供することに何の気負いも感じられない。感心させられた。やがて岐阜のマスク姉さんも到着した。
3時5分、足摺岬のアメリカ漂流・中浜万次郎(ジョン万)像前着、小休止。そこへママチャリ(家庭用自転車)でツーリングの大学生4人組。女房が自転車転倒事故の情報を伝え、強風の時は押して進むようにアドバイス。ミスター53ではないが、旅の者同士、出会えば自然と親近感がわいてくるから不思議である。
金剛福寺の納経所では、お寺からの歩き遍路へのお接待として『人生のあゆみ守』=非売品=をありがたく頂いた。
4時、7年ぶり、懐かしのホテル足摺園に入る。風呂でロストおじさんと裸の再会。夕食を一緒のテーブルでとることを約束。先に部屋に戻り、すぐにフロントにそのむね連絡した。
テーブルには魚介を中心に食べきれないほどの料理が並ぶ。ぼくのお接待で生ビールを二人分頼むことにした。すると酒がほとんど飲めない女房が珍しく「私も欲しい」と言い出す。友人たちが主催してくれた結婚式の披露宴で調子に乗って飲んだら腰が抜けて椅子から立ち上がれず、抱えて借家に帰ってから吐すこと吐すこと……。よほど懲りたのか、あれ以来たまにちょっと口を付ける程度だった。「やめといたら」と注意したが、「今日は気分が良いから」と中ジョッキを頼み再会を祝し三人で乾杯。
話も弾み、そこまでは良かったが、そのうち眼を閉じフーと椅子にもたれる。しばらくするとシャックリが出て、何やら手も痙攣している。シャックリが止まると、今度はイビキをかき始め、これはもう完全におかしい。「大丈夫か」と声をかけるやテーブルの上にブハッーと嘔吐をまき散らす。二度三度、それでも眼を開けず痙攣を繰り返す。慌てて女房の背中に回り、喉に吐瀉物が詰まらないように気道を確保。仲居さんを呼び雑巾を頼む。飛んできた仲居さんも仰天しオロオロしている。口の周りを拭いている間に痙攣は収まり、水を飲ますと意識が戻ったが開けた眼は虚ろ。
とんだお接待になったことをロストおじさん、そして仲居さんに詫び、女房を車椅子に乗せて部屋に運んだ。意識が正常に戻ったのは1時間くらい後。「飲んでからの記憶が全くない」と本人。旅の疲れが一気に吹き出したのだろうが、それにしても寿命が縮む思いだった。 (西田久光)
2011年3月17日 AM 4:55