小田川沿いに3階建民家が並ぶ大瀬地区

   30日目。晴れ、朝は冷え込み気温1度だが、ありがたいことに風はなし。今日の行程は宿の関係で小田川の上流、内子町小田のふじや旅館までの19キロ。峠はなく急げばお昼には着いてしまう距離。足休めの日と決め、遅出の8時9分発。
 普通、内子では重文指定の和蝋燭の豪商宅が何軒もある伝建地区の旧街道を通るのだが、松乃屋の女将さんのお奨めは知清橋を渡り小田川沿いにある桜満開の知清公園を通って道の駅・内子フレッシュパークからりに出るコース。伝建地区は6年前に観てあるので女将の言に従うことにした。
 知清橋の欄干は上に瓦を乗せたナマコ壁風。橋の上から望む知清公園の桜は女将が自慢するだけあって綿菓子さながらボリュームたっぷり。だけどそれ以上に驚いたのは小田川の水。澄んで透明感あふれる文句のない清流。水深が浅いせいもあるのかなと思ったが、小田川に沿って歩き続けたこの日の行程で完全に誤りであることを知る。どこまでも瀬は水の存在を感じさせないほど透き通り、淵は吸い込まれるような深い青をたたえているのだ。
 桜のトンネルをくぐり、吊り橋を渡ると、林の中のあちこちに椅子・テーブルを置いたオープンテラス。横に飲食系の店が並んでいる。奧が農産物直売所。トイレもモダンできれい。素敵な道の駅だった。開店準備中のパン屋で昼用のパンを特別に売って貰った。
 11時過ぎ旧大瀬村の大瀬地区に。ここはノーベル賞作家・大江健三郎の故郷。国道379号の旧道は橋を渡り集落の中を通るのだが清流を眺め続けたい気分でそのまま新道を進む。対岸の家並みはほとんどが3階建て。新しい家が多くなかなかの壮観。実は旧道側にある玄関は2階部分。地形を活かした独特の造りである。健三郎の母校・大瀬小学校も銀鉛色に輝く民家の甍の向こうに見える。彼の小説からもっと辺鄙な森の中に民家が点在する村を想像していたが、深い谷間で小さくはあるが村の中心部は意外と『まち』だった。
 『まち』を過ぎ少し行くと道端で車椅子に座って日向ぼっこしている老人がいた。目深に帽子をかぶり大きなマスクをしている。フリースの上下、首にはマフラー。挨拶して通り過ぎようとすると「お遍路さん、お遍路さん」と呼び止められた。「ここから200mほどいったら自販機があるからお茶でも買って」と女房とぼくに130円ずつ。ありがたく頂戴し納め札を渡す。歳を聞けばなんと97歳。百歳までもう少しで届く大おじいちゃんから現金のお接待を頂くなんて、すごく嬉しくなった。
 11時52分、大瀬東のトイレ付き遍路小屋でお昼の休憩にした。傍に花などを置いた無人直売所、自販機。遍路小屋の天井は丸竹を敷きつめ庇には風鈴一つ。隣に手水舎があり谷からの引き水が軽やかな音を立てこんこんと湧き出ている。宿まではあと6キロ。パンを食べた後、ぽかぽかと温かい陽差しに眠気を誘われてベンチに横になる。お遍路に出て初めての昼寝をすることにした。時おり谷間を渡るそよ風に歌う風鈴……至福の時を過ごす。
 1時出発。険しいV字谷の斜面に石垣を積み上げた民家が目立つ。頭上はるかにも何軒かの家。見ているだけで大雨が心配になる。
 しばらく行くと初老の男性遍路がガードレールにもたれ裸足でストレッチをしていた。土踏まずが痛いとかなり苦しそう。「休憩すれば大丈夫でしょう」と言うのでそのまま別れた。
 2時半、道の駅せせらぎ着。30分時間を潰し、それでも3時15分に宿着。部屋でくつろいでいると後着の人の声に聞き覚え!「できそうな感じが続いているのに、なぜかまだマメができない」と、まだまだ元気なロストおじさんだった。
 宿泊客は5人。夕食時、土踏まずが痛いと言っていた男性遍路の話をしたら大阪の方が「それは疲れからくる肉離れ。前回ぼくも88番の手前でなり痛みを堪えて必死で結願して帰宅したら、病院通いで治るまで1カ月かかった。そのまま無理すると疲労骨折を起こすらしい。その人、もうリタイヤした方が良いよ」と。歩き遍路はどこにでも魔が潜んでいる。(西田久光)