

検索キーワード




33日目、今日は三坂峠を越え愛媛の県都松山市に入り、浄瑠璃町の46番浄瑠璃寺、47番八坂寺、高井町の48番西林寺の3カ寺参り。宿は浄瑠璃寺前の長珍屋で西林寺からタクシーで戻る予定。行程は21・2キロ。
6時55分、あの美味しい雉ご飯のおにぎりをお昼用に女将からお接待いただき出発。笛ケ滝と三坂峠(710m)との標高差は224mだが、峠まで国道33号で7・6キロもあり緩やかな上り坂が続くので平地感覚。ただ、峠方面は真っ黒な雲にべったりと覆われていて、八丁坂どころではないゲリラ豪雨に襲われるのではないかと嫌な予感。昨日の帰路にお参りした国道脇の於久万大師に遥拝、何とか峠の麓まで天気が持ってくれますように祈る。
峠1キロ手前のレストパーク明神でトイレ休憩のあと8時47分峠着。雨は大丈夫だったが濃い霧に包まれ20m先が見えず、寒い。自販機でホットコーヒーを買い一息入れてから、国道に別れ久万街道(土佐街道)三坂峠の遍路道に入り下り始める。
最大の難所『なべ割坂』は鬱蒼とした木立に覆われ霧は更に深く5m先が見えかねた。ぼくらは一瞬たじろぎ立ち止まって顔を見合わせる。これは完全に雲の中だ。国道に戻ろうかとも思ったが、そうすると5キロも遠回りになる。道は一本、足許にさえ注意すれば何とか大丈夫だろうと気を取り直し霧の中を進む。余り気持ちの良いものではない。500mほどで霧は薄れだしホッと一安心。
急坂の山道は2キロほどで漸く視界が開け、谷間に田んぼ、地道はアスファルトに変わった。途中、一抱えもある杉の倒木が道をふさいでいる所が2カ所。先日の雪で倒れたらしい。
9時56分、峠を下りだして初めての民家。昭和初期まで営業していた旧遍路宿『坂本屋』。平成16年、地元のNPO法人が多くの方の協力で修復し、休日には歩き遍路にお茶のお接待をしているとか。この日は金曜日。板戸はしまっていたが脇の軒下に長椅子、その奧のトイレが自由に使えるようにしてくれてあった。
更に2キロ弱で番外弘法大師の網掛け石にお参り。ここから浄瑠璃寺までは3キロ。気持ちにゆとりができ、10時51分、窪野公園で早昼。おにぎりを食べ1時間休憩するつもりが、風が冷たく重ね着してもじっとしておれない。止むなく30分で切り上げ歩く。
11時50分、長珍屋にリュックを預け、浄瑠璃寺にお参り。900mで次の47番八坂寺。歩き遍路をしたことがあるという納経所の若い僧侶に、各札所で納経時に頂く御本尊の『御影』を結願後どう扱えば良いのか尋ねた。「大事にして頂ければ良いです。軸や屏風に仕立てる方もあるが金がかかる。差し込み式の御影帳なら二千円です」と。なるほど本の形なら保管しやすい。巡拝用品売り場に現物があったので買おうとしたら、「他のお寺でも売ってますよ」と欲のない話。益々気に入り2冊求め家に送ってもらうことにした。
八坂寺を後にして1キロ先の別格霊場、衛門三郎菩提寺の文殊院(松山市恵原町)に向かう頃には日が差し始め、ようやく温かくなってきた。1時25分着。小さなお寺だったが、境内にはお大師さんの像や衛門三郎と妻の像などが並び『四国遍路開祖発祥地』の誇りがみなぎっていた。
1・6キロで番外札始大師堂。三郎はここにお大師さんが泊まっていると聞き急いで駆けつけたが既に立ち去った後。止むなく自身の名を木札に記しお堂の壁に打ちつけたと伝える。お遍路することを『打つ』といい、また札所お参りの証拠に『納め札』を納めることの始まりのお堂。伝説ではあるが文殊院と共にお遍路には欠かせない霊場だ。
気持ち的には今日はここで打ち止めとしたかったが時間が早く、予定通り48番西林寺まで歩きお参り。4時、タクシーで宿に戻り、翌朝7時の迎えを頼む。受付を済ませた後、女房のお杖のカバーが無くなっているのに気づき辺りを探すが落ちていない。記憶をたどってもどこで無くしたのか判然としない。諦め部屋で休んでいたら仲居さんが先程のタクシーが戻ってきて「座席の下に落ちていた」と届けてくれたと。今日もまた感謝だ。(西田久光)
2011年6月30日 AM 4:57