墓地を行く…これも遍路道

  34日目、晴れだが、4月だというのに今日も朝は冷え込み吐く息が白い。6時55分、予約しておいたタクシーに乗り西林寺門前へ。そこから49番浄土寺(鷹子町)50番繁多寺(畑寺町)51番石手寺(石手)と松山市内の3寺参りの後、道後温泉を抜けてJR三津浜駅まで歩き、電車で松山駅に行き駅前のビジネスホテルに泊まる。歩行距離は20キロとゆとりを持たせ、前回松山を訪れたとき覗けなかった正岡子規記念館、それに漂白の俳人・種田山頭火終焉の地『一草庵』に寄る計画。
 7時5分西林寺発。市街地を歩き始めて10分もしないうちに沿道の無人販売所へ農産物を置きに来ていたおばちゃんから大きな柑橘が6個も入ったビニール袋ごとお接待。ありがたいがズシリと重く、顔で笑って心で泣いて納め札を渡す。
 古い団地の間を通り7時49分、浄土寺着。今日最初の巡拝勤行をあげる。8時18分、遍路道の表示に従いお寺の脇の墓地の間を通り更にレモン畑を横に見て8時42分、繁多寺着。ここで浄土寺でも一緒になった車遍路の親子連れに柑橘4個を『お接待分け』でもらって頂いた。
 繁多寺の門前には、露店のアイスクリーム屋があった。お参りを済ませた頃から漸く上がり始めた気温に食い気を誘われ一つ買う。門前に店を出して16年、気の良いおっちゃんはアイス1個に対して二人分と乳酸飲料を2本もお接待。これじゃ商売にならないと思うのだが、ニコニコして誰かの歩き遍路体験本を開いて見せ「ここにわしのことが出ている」と自慢げだ。
 今日2枚目のお礼の納め札を渡し、しばらく進むと前からきた軽自動車が急に停まり中から三、四十代の小柄な女性が降りてきた。「お接待させて下さい」と言ってビニールの小袋をぼくらに一つずつ渡すや、納め札を渡す間もなく「お気をつけて!」と急いで車に戻り走り去る。出勤途中なのだろう。
 小袋の中身を見る。女房のものとぼくのものとは若干異なっていたが、塩分やビタミンC、糖分など歩き遍路の健康に心を配った4種類のキャラメルに、数枚の傷バンがそれぞれセットされていた。
 こんな詰め合わせが市販されているとは到底思えない。恐らくスーパーかドラッグストアで買ってきたものを、夜、家でいったんバラにして自分で組み合わせを考え小袋に詰め直し、いつも何セットか車のダッシュボードに入れておき、その日出会った歩き遍路にお接待しているに違いない。お接待で陰徳を積むというが、ここまでやるか?何という人だ……。
 衛門三郎転生伝説の地、51番石手寺は松山屈指の名刹か、山門をくぐると参道は屋根付きの土産物屋通りに続き、ちょっと小ぶりの東京の浅草寺風。境内は土曜日ということもあり、赤ちゃんを抱いた宮参りの若い家族連れなど地元の参拝者から観光客、お遍路で大賑わいだった。本堂に上がる石段踊り場には2mを超す巨大な五鈷杵。三重塔、仁王門は重文。お堂の数がやたら多い。
 遍路道は境内の端から石段、地道で標高95mの裏山を越え、心地よい竹林の間を下りて、車道を進み道後温泉に至る。芸予諸島の水軍を束ねた伊予中世の雄、河野氏の居城湯築城址公園は桜満開。花見客でごった返し状態。向かいの正岡子規記念館はやたら『坂の上の雲』のポスターが目立っていたが空いていた。おかげで1時間10分もかけゆっくり観ることができた。
  この後、道後本館の前を通り観光客でいっぱいの道後商店街のレストランでお昼にオムカレーと名物の坊ちゃん団子を食べる。ここまで既に3度、松山の人のお接待に感激のあまり前回松山を訪れた時に世話になり、今は横浜に暮らす松崎美由紀さんに電話。相変わらず元気そうだ。
 商店街を後にして通りから少し脇道に入り1時50分一草庵着。展示施設は小さかったが真新しくきれいなトイレ付き。ボランティアガイドのおじさんが熱心に説明してくれた。更に「山頭火がこの地で亡くなるまで世話をされた高橋さんの息子さんが、ちょうどいま来ていますから話をされては」と隣の一草庵に案内され、縁側に腰を下ろして4人で談笑。気がつけばいつしか時計は3時。別れぎわ高橋さんからアメのお接待を頂いた。 (西田久光)