瓦のまち菊間の巨大鬼瓦レリーフ

 35日目、晴れ。朝の内は冷えるが昼は最高18度の予報。今日は三津浜駅から52番太山寺(太山寺町)53番圓明寺(和気町)で松山市内の札所を打ち終え今治市に入る約28キロの行程。6日ぶりの長距離歩行。
 実は松山の外れで泊まる予定が満杯で断られ、1キロほど離れた宿に変えようとしたらここは廃業。近くのもう1軒は休業中……これでは満員になるはずだ。どうにか取れた宿は40キロ近くも先のJR予讃線大西駅前のビジスネ・ホテルニュースガノヤ。ぼくらの足ではとても無理なので10キロ手前の菊間駅で電車に乗り、翌朝また菊間駅に戻ることにした。「先日もそういう人がいた。朝6時49分発の電車で菊間に戻ると良い。荷物はうちで預かってあげるから」と女将さん。
 6時53分、三津浜駅を出発。2キロほど進んだところで石鎚山を信仰しているというおばさんから柑橘のお接待を頂く。太山寺は標高75mの小高い山の上。一ノ門をくぐり350mで仁王門(重文)更に550mでようやく本堂(国宝)にたどりつく。鎌倉時代の入母屋造り。屋根の両翼がゆるやかな弧を描き、軒で少し反り上がる。どっしりとした大鳥が翼を広げたような威風に、気を引き締めて勤行をあげた。
 次の圓明寺までは2・6キロ。8時56分着。大師堂の左手奧にマリア観音とおぼしき像が刻まれたキリシタン灯籠があった。なぜこの寺にあるのか文献も伝承もなく不明とか。9時25分発。県道347号を1時間少々、堀江町の出はずれで久々に海。瀬戸内の海岸線を歩く。11時5分、光洋台の大師堂で休憩。
 お堂前の遍路小屋には先客がいた。30前後の青年。地元の人?テーブルの上に就職情報誌を広げていた。三重県から来たと告げると懐かしそうに隣の愛知で車関係の会社で派遣で働いていたという。例の派遣切りにあったの?実はリーマンショックは発生の半年前には予測され、それに備えて中間管理職として正社員になるか辞めるかの選択を迫られた。自分の性格は管理職には向かないので潮時と帰郷した。松山はサービス業の町、隣の今治は造船の町。車溶接で培った技術が活かせると思ってチャレンジしたが、自動車と造船では扱う鉄板の厚さが違い全く別の世界と知らされた。何とか自分の技術を活かせる仕事はないか、せめて何か製造業の口がないか、求人誌で探しているのだと。
 職がないのはつらい。ぼくらは何の力にもなれず、ただただ話を聞き、時々相槌を打つばかり。「大変だと思うけど諦めずに頑張って」と言う他なかったが、「そちらも結願まで頑張って下さい」と励まされた。
 12時前、コンビニで弁当を買い外に出たところで古市さんから電話。今、松山だけどこれから今治城に向かうのでお昼を一緒にと。2キロほど先の西ノ下大師堂で合流し桜満開の河野川河川敷で急遽花見会。奧さんからまたも抹茶、桜餅を頂く。一行は宇和島城・大洲城は予定通りいったが、松山城はイベント開催中で車が駐められず断念。山本さんは岩屋寺の『遍路転がし』に足がパンパン、古市夫婦は山登りが趣味だけに平気の様子。酒抜きコンビニ弁当の花見だが、うらうらと温かい陽差しの下で気持ちの良い一刻を過ごす。
 1時間半の大休憩をへて2時前出発。2時58分、番外の鎌大師にお参りして80mの峠越え。坂下の浅海町を通り市境を越えて今治入り。春霞に煙る海原の向こうには島々が連なりうっすらと浮かんでいる。この辺りまで来ると行き交う船の数が一気に増えてきた。
 5時前、瓦屋が軒を連ねる菊間に入る。祠の中に年代物の鬼瓦が祀ってあり。更に行くと横4m、高さ5mほどの巨大な鬼瓦のレリーフ。さすが瓦の町だ。瓦屋街の一角に休憩所があった。中にいたおじいさんから焼き物のお守り『無事カエル』のお接待。瓦屋は10数軒あるが稼働しているのはわずか3軒。「不景気なのと瓦のいる家を建てる人が少なくなった」と嘆く。
 5時20分、菊間駅着。堂々たる瓦屋根の駅舎。ところが時刻表を見たら次の列車は6時22分までない。日が暮れて寒くなりとても1時間も待てない。結局タクシーを呼んだ。 (西田久光)