石鎚神社新門(天狗門)

 38日目、前夜の天気予報が外れて朝から小雨が降ったり止んだり。ひょっとしたら上がるかもと淡い期待を寄せ出発を30分遅らせることにしたが、待っている間に本降りに変わる。諦め合羽を着て7時半発。
 遍路転がしの60番横峰寺(西条市小松町石鎚)は明日に送り、横峰寺登山口の妙雲寺経由で西条市の残り4札所──61番香園寺(小松町南川)62番宝寿寺(小松町)63番吉祥寺(氷見)64番前神寺(州之内)をまわって、前神寺近くの湯之谷温泉旅館部に連泊する計画。行程は明日に備えて20キロ弱。
 本来なら平地の楽勝コースなのだが、雨はもう全く止む気配はなく、おまけに風も出てきて、これがまた次第に温度を下げ寒風に変わった。一昨日、昨日の陽気はどこに消えてしまったのか、4月に入ってもう1週間もたつのに冬に逆戻りである。歩いても歩いても一向に体は暖まらず、手はコチコチ。10時、たまらず妙雲寺手前のコンビニに入り、ホカホカの肉まんを買って暖をとる。
  気を取り直し妙雲寺、続けて香園寺をめざすが、肉まんで少し暖まった体は氷雨に打たれてすぐに冷え冷え。11時、香園寺までわずか500mだったがとてもお寺まで持ちそうになく、スーパー・ヤマサンセンターに駆け込みまずトイレ。ありがたや、店内の一角にレンジも置いてあるレストルームを発見。少し早いがお昼にすることにした。おにぎりとコロッケをチンして温め、マカロニサラダ、温かいお茶、食後のコーヒー……生き返った。
 12時、香園寺着。参道の満開の桜のトンネルは見事だったが、その先にあったのは巨大な箱型のコンクリートの固まり。昭和50年代の始めに建てた鉄筋コンクリート造り。ビル型の本堂というよりは窓がなく、まるで原発の原子炉建屋。建物左手の外階段を登り2階の薄暗い大広間に入る。正面の祭壇に御本尊と弘法大師像を祀り、その前にズラリと椅子席が並んでいる。お寺というよりもホール。生まれて初めて見る異色の寺院だった。
 61番香園寺から62番宝寿寺までは1・3キロ、更に63番吉祥寺まで1・4キロとトントン拍子。巡拝が進むと現金なもので元気も湧いてくる。64番前神寺までは3・2キロだが、その手前で脇にそれて石鎚神社にもお参りすることにした。
 御神体は西日本最高峰の石鎚山(1982m)。前神寺はその別当寺院で元は現在の石鎚神社のある場所にあった。明治の神仏分離令で廃寺。明治11年、現在地に『前上寺』として再興され、元の『前神寺』名が許されたのはその11年後という石鎚修験道の総本山。横峰寺は石鎚登山の拠点寺院であり、本来これらの寺社と石鎚山そのもので神仏習合の石鎚山信仰が構成されているのである。
  高さ15mはあろうか、大寺院の仁王門にも匹敵する威風堂々たる神門には大きな注連縄が張られ、両脇には阿吽の金剛力士像ならぬ団扇・巻物を手にした大天狗像と、宝剣・宝珠を持つ小天狗像。門の向こうには雨に濡れ一層鮮やかさを増した木々の緑を背景に満開の桜が映える。
 石段を登り、社務所ビルの垂れ幕が眼を引いた。
 『朝日に祈り 夕日に感謝 日はまた昇る』『お山の緑が命を育む 自然の治癒力 神様のはたらき』
 拝殿で二礼二拍手一礼の参拝の後、つい南無大師遍照金剛と大師宝号が口を突いて出る。お遍路が身についてきたということか。
 前神寺にお参りし、宿に着いたのは4時20分。冷えた体を温泉で暖めるべく大浴場に行ってびっくり。洗い場も湯船の中も人でいっぱい。大半がお年寄り。昔の銭湯にタイムスリップした気分。皆さん近隣に住む常連さんらしい。後で判ったが、毎週水曜日は65歳以上無料の日とか。道理で。
  夕餉、東京からという初老の初遍路男性と話す。足に自信がないのでタクシーを使いつつ1日1区間だけ選んで歩く。3月26日から打ち始め、今日は栄福寺・仙遊寺間の2・4キロを歩き、急坂できつかったと。「それ、横峰寺を除いてこの辺では一番しんどい所ですよ」と伝えると苦笑していた。   (西田久光)