霊峰石鎚山と江戸期の鉄製鳥居

 39日目、快晴ながら気温は前日より更に下がり息が白い。今日は60番横峰寺まで山登りの往復約20キロ。昨日寄った妙雲寺は標高30m、横峰寺は745m、その差715m。山上の気温がちょっと心配。頭陀袋だけ持ち、まずタクシーで前日寒さ凌ぎの肉まんを買った妙雲寺手前のコンビニまで行き昼の弁当を調達。7時半、歩き始める。
 7キロほど先、標高300mまでは比較的なだらかなアスファルトの車道。そこから急峻な山道に入り、2・2キロで標高差445mの横峰寺まで登る。
 小一時間で山小屋風の喫茶てんとうむし着。白木に自家焙煎珈琲の墨書看板。煙突からは白煙が昇っている。この先、店はない。自家焙煎の文字に惹かれ久しぶりに美味しいコーヒーを飲むことに。ところがドアが開かない。脇の壁に懸けられた小さな看板を見れば開店は9時、まだ30分もある。とてもそこまでは待てない。諦めて先に進もうとした時、中からドアが開いて「いいですよ。すぐ準備して開けますから」。
  店内は白木造り。外観よりずっとお洒落で本格派のコーヒー専門店。なぜか道路寄りの一角にピカピカに磨き上げられたスバル(てんとう虫)が鎮座。店名はこれから採ったようだが、どうやって入れたの?聞けば車の後ろの壁が開閉式にしてあり、出して走らせることもできるとか。モカをベースにブルーマウンテンをブレンドしたてんとうむしオリジナルの『みやび』を注文。店内に流れるBGMはジョン・コルトレーンの『ブルートレイン』……お遍路に出てから初めて聴
くジャズ。聴き慣れたはずのコルトレーンの出世作がすごく新鮮に思えた。
 勘定をお願いしたらバナナ2本のお接待。更に「今日の天気だったら奥の院の星ケ森から石鎚山が見えるはず。下の町からは見えないし、横峰寺からも見えない。星ケ森からも見えない日が多いけど今日なら絶対見える。ぜひ行ってみて」と。奥の院は全く念頭になかったが、見られるものなら見たいのが人情。ありがたい情報を頂いた。
 参詣道の入口に遍路小屋とトイレ。ここから急な石段や丸太段の連続。丸木に板を渡しただけの小さな橋を幾つも渡る。なるほど荒天時は通行不能になることもある危険なルートだ。
 10時半、山門着。汗はたちまち引いて日陰は寒い。納経を済ませ、星ケ森まで登り石鎚山を眺めながら昼食をとることにした。片道580m。杉林を抜け、ぬかるみに氷が張った広場を越し、その先の小さな広場が星ケ森。樹木が切り払われ緑の間にポッカリ開いた空間の彼方に、少し霞んだ石鎚山が大きく両手を広げドンと座っていた。青空に縁取られた稜線は歯こぼれした鉈のよう。泰然、そして峻険な山だった。
 ここには通常のお堂はない。自然石を積み上げた小さな石室の中にお大師さんが祀られていた。石鎚山に向かっては高さ1・5m、江戸時代に建てられた鉄製の小さな鳥居。少し左に傾いて、鳥居がくぐり抜けてきた時間の長さ、風雪の厳しさを思い起こさせる。
 お大師さんに勤行をあげ再び西日本最高峰と対峙、拝礼。これがあの霊峰石鎚
山……来てよかったと改めて思う。喫茶店のマスターのアドバイスがなかったら殆どのお遍路さん同様ここまで登らなかっただろう。心からマスターに感謝だ。
 鳥居の向こう側に半畳ほどの腰が降ろせる空間があった。お山を真正面にした日なたの絶好ポイント。だが先客があった。70過ぎくらいの老夫婦が仲良く弁当を広げていた。考えることはみな同じである。名残惜しかったが、横峰寺に戻ることにした。
  12時35分横峰寺発。入れ替わりに登ってきたのがミスター53。19日ぶりの再会だ。星ケ森で石鎚山を拝めたことを告げると、我がことのように喜んでくれた。
  帰路は香園寺奥の院白滝経由。ミツバツツジの花のトンネルなどを潜りながら標高60mの白滝まで7・6キロの山道を下る。お参りし、そこから更に3キロで香園寺に到着。決して楽ではなかったものの、リュックなしのお陰か、往復20キロの山道に耐えて女房共々まだ余力があった。 (西田久光)