ガレージを改造した萩生庵にて

今日はここまであそこまでと歩いてきたら、いつしか40日目、結願まで残り10日となった。朝から雨。晴天に恵まれた昨日の横峰寺・星ケ森参りが奇跡に思えた。今日は四国中央市土居町の松屋旅館まで28キロ強をひたすら歩くのみ。
  7時半、湯之谷温泉を出発。加茂川の両岸の桜並木が美しい武丈公園を通り雨の遍路道を行く。西条・新居浜の市境1キロほど手前で国道11号、次いで旧道を延々と歩く。1時間を過ぎたあたりから雨を避けて休憩できる遍路小屋が欲しかったが、一向に見当たらず歩き続けるしかなかった。
 10時40分、新居浜市萩生の旧道。「お遍路さん、お遍路さん、休憩していってはどう」中年女性から声がかかる。既に廃業しているのか、中二階の仕舞た屋風の畳屋のガレージの前に立っていた。雨の中、2時間10分も休憩なし。甘えさせて頂くことにした。
  間口1間半、奥行き4間ほどの広さか。ガレージ入口近くの壁際と奧には手製の簡単な畳ベッド。5人は泊まれそうだ。テーブルの上にはポット、湯飲み、灰皿、ノートなど。店のガレージを改造した善根宿『萩生庵』である。壁に飾られた何点もの写真は泊まった人たちとの記念写真。若い修行僧たちも数多くお世話になっている様子。
 巡礼の旅は観光旅行ではない。とりあえず屋根と布団と風呂と食事があればそれで良いと、へんろみち保存協力会が発行する地図帳巻末の宿泊施設一覧表だけを頼りに、宿の評判・特色など事前調査は一切しなかったが、歩き遍路の間では有名な善根宿に違いない。
  すぐ暖房ヒーターにスイッチを入れ、「温かいお茶を淹れますから」とお接待。冷えた体に温もりが染み渡る。女房は奥のトイレを借して頂く。「おばあちゃんを呼んできますから」そそくさと奥に消えたと思ったら替わって登場したのが、ニコニコ顔のおばあちゃん、庵主の高橋芳子さんである。80を越しているが顔艶もよく元気。3個も立て続けに柑橘をむいて食べろ食べろと勧める。従来、柑橘は余り好きじゃなかった女房は、お遍路初日に車遍路からお接待して頂いた柑橘がとびっきり濃厚で美味しく、更に毎日のように柑橘のお接待を頂くうちにいつの間にかすっかり宗旨がえ。おばあちゃんのお接待に大喜びである。
 おばあちゃんはいつか歩き遍路をと念願してきたが果たせぬままにこの年になってしまった。実の娘か嫁さんなのか判らないが、中年女性は歩き遍路へのお接待は『おばあちゃんの生き甲斐』なのだと説明する。
 柑橘の次は「ちょっと横になれば楽になるから」と昼寝の勧め。今日の行程は長い。既に30分、思わぬ長居をしてしまったので丁重にお断りし先を急ぐことにした。おばあちゃんはいかにも名残り惜しそうで、壁の張り紙を指さし「ホッカホッカでお接待があるから寄ってけば」と勧める。
 張り紙には端正な行書で『お遍路さんえ 宿泊は御自由に 朝発ちの時シャッターは上げたままにしてお発ち下さい 食事は御自分にて御用意下さい 十一号線のホッカホッカで接待有ります 萩生庵当主』と書かれていた。
 ぼくらは既に途中のコンビニでサンドイッチを買ってあったので、その旨を告げる。おばあちゃんは「それじゃあ明日のお昼の足しに」と五百円ずつお接待。ありがたく頂戴した。
 入れ替わりに青年僧が入ってきた。勝手知ったる様子。「雲辺寺の下り階段は要注意」とアドバイスを頂く。降りしきる雨の中、萩生庵を後にした。
  後日談がある。張り紙を素直に読めばホッカホッカ亭がお接待をしているように受け取れるし、おばあちゃんの話もそう。だけど実際はおばあちゃんのお接待で、後でまとめて代金を払っているのだと、後に出会った法螺貝さん(奈良の修験者)に教えて頂いた。
 法螺貝さんは怒る。少ない年金からお接待しているのに、ここぞとばかりに一番高い弁当を頼む奴がいると。義憤はわかる。が、きっとおばあちゃんは一番立派な弁当を食べてもらって嬉しいと、満面の笑みを浮かべながら財布からお金を出しているに違いない。そんな気がする。  (西田久光)