一、 伊勢の三国守
 南北朝時代から戦国時代にかけて、伊勢・伊賀の国境、安濃郡長野村(津市美里町)に豪族の工藤長野氏が国守として栄えた。
 「日本三大仇討」のひとつ、「曽我兄弟の仇討」で有名な鎌倉幕府の侍大将、工藤左衛門尉祐経の三男、駿河守祐長が安濃郡地頭に入国。第16代藤敦(具藤の子)まで約三百年存続。北の伊勢平氏の名流、関氏、南の南朝の名流、北畠氏と共に「伊勢の三国守」であった。
 美里町桂畑の通称、城の台(標高540m)に長野氏城(国指定史跡)、伊賀街道を跨いだ北に東の城(196m)、中の城(200m)、西の城(234m)を本拠に北伊勢を支配。 室町時代には室町幕府の奉公衆(将軍に近く仕える御家人)をつとめ、一族には「長野衆」として雲林院・細野・家所・分部・草生の五家が中核、分家に川北・中尾・乙部・家所の四家、それに城は美里町の経ヶ峰・細野・井面・家所の四支城、芸濃町の椋本・雲林院・林・忍田・岡本・萩野・前山の七支城、安濃町の今徳・草生・安濃・連部・浄土寺の五支城、河芸町の上野・御幸・黒田の三支城計十九の城と安濃津港を中心に総勢五千(馬上五百騎)の兵で君臨した。
二、長野氏族と高い城
 長野氏城は伊勢・伊賀の分水嶺にそびえる伊勢国で最も高い所にある城だ。
 文永11年(1274)、祐長の嫡男、祐藤が豪古襲来の文永の役に築いた。工藤長野氏は鎌倉幕府の前線トリデとして支配統治した。
 正長元年(1428)には北畠氏三代の国司、満稚が南朝の君主を奉じて挙兵。室町幕府を開いた際、工藤長野氏は幕府側に参加して北畠氏と激戦、満稚を津の岩田川畔で戦死させた。
 また、戦国には永禄10年(1567)、岐阜から伊勢に侵攻した織田信長軍に抗戦し、翌々年には信長の弟、三十六信包を工藤長野氏第15代具藤の養子に入れ長野次郎と名乗らせる謀略に応じた。信包は津城を築く。
 その後、天正4年(1576)、具藤は信長の手先に暗殺され、名門、工藤長野氏は遂に滅亡した。
三、工藤長野氏の残影
 光芒揺れて幾星霜─。名門、工藤長野氏は滅び、本拠の長野村も市町村大合併で津市に吸収され、安濃郡も版図が塗り替えられ、消滅した。昔の光、今いずこだ。
 伊勢の戦史をふりかえると伊勢平氏は西海長門の海に全滅し、北から織田氏の侵攻で名流の北畠氏も工藤長野氏も滅んだ。国盗り物語では無く国盗られ物語である。
 そこで、工藤長野氏の残党を探してみると、「長野衆」の分部家が河芸町上野から江戸時代に近江に転封され、大名に残った一家がある。
 高島市の大溝藩分部家二万石だ。河芸町の上野城にいた分部左京亮光嘉が、関ヶ原合戦の余波とも云える津城攻防戦で闘って高野山に逃れたのち、徳川家康に認められ、上野城二万石城主に任ぜられた。
 光嘉は、関ヶ原合戦の翌年、慶長6年(1601)に上野城に入って間も無く病死するが光嘉の姉の子、雲林院家の光信が後継者となる。
 光信は大坂冬夏の陣に大坂城外で、徳川方の武将、本田忠勝の幕下で勇戦。敵方の首六十もあげた戦功の人物だった。
 光信は、慶長七年(1602)、滋賀県高島市の大溝藩二万石城主に転封、城郭に天守閣は建てなかったが、陣屋と美しい城下町を建設し、明治4年(1871)の廃藩置県まで16代二百七十余年生き残った。
 高島平野と琵琶湖を支配し、子孫は有力な海軍を擁して水陸の交通を守り、また明治・大正天皇の乗馬の先生もつとめた。
 他に長野衆随一の勇将、安濃城主、細野壱岐守藤敦(分部光嘉の実兄)は信長に抗戦し続けたのち、伊勢松坂城主、蒲生飛騨守氏郷に仕え、氏郷が会津若松に転封になると同行。
 氏郷の死後、徳川家康に迎えられたのち、加賀の前田家に仕えた。
 従って北陸路には細野氏の子孫がいる。
 因みに、大坂冬夏の陣では、豊臣方、関ヶ原合戦では西軍に参戦した長野衆の家臣も多く、家所帶刀・中尾新左衛門・川北勝左衛門・雲林院兵衛らが破れて戦死、浪々の者も多い。
 埼玉県・熊本県など浪々の子孫がいる。
 とくに一族の旧臣では、慶長13年(1607)、伊予宇和島から津に入国した藤堂高虎に拾われ、のち無足人に取り立てられ、また紀州藩和歌山家の地士にもかなり多くの者が取り立てられている。
 その数、約一千二百人、平素は農村で居住し、庄屋や山役人、鳥見役などを勤め、年に何度かは津城に呼ばれ、藩主のお目見えに接した。
 いずれも大半が北畠・工藤長野両氏の子孫の末裔である。
 いわば長野衆の遺産だ。明治維新の戊辰戦争で藩軍の中核となって活躍した者も多く、旧陸軍時代、久居三三連隊や和歌山二四連隊は勇敢で戦歴を刻んでいるが、戦国武史の名ごりと云うべきか。
 なお蒲生家滅亡後、伊勢に帰国した武士が多く、長野村の名主の岡家、津市一身田窪田の国府尚直家(石水会館事務長)、津市北丸之内、桜水楼、岡昭家など名家が多い。
 また、徳川家康は側室、清雲林院於奈津に津の町復興、伊勢商人の援助をさせているが、叔父に浪人から長野九郎右衛門に取り立てその長野氏の子孫は東京に住み、津市、松阪市にはその他の工藤氏、長野氏がいる。
(横山 高治 津市出身。「藤堂高虎」「伊勢平氏の系譜」「戦国於奈津の方」など著書多数)