福禄寿霊場「結城神社」

北村西望作の狛犬

 1月23日12時半、福禄寿霊場・結城神社=津市藤方=へ。いよいよ伊勢の津七福神をめぐる旅も残すところあと2つ。
 この日は寒さも和らぎ、心地よい気候に恵まれたこともあり、我が社=津市東丸之内=から徒歩で出発。フェニックス通りをなぎさまち方面へ進み、途中で近鉄道路を松阪方面に向かって折れる。津市内の大動脈である国道23号の補助的な役割を果たしているこの道路はその名の通り昭和36年に廃線となった近鉄伊勢線の跡を再利用したもの。岩田川の河口にかかる鉄橋はその名残である。
 平日の昼下がりを、ゆっくりとしたペースで歩くと約40分ほどで結城神社に到着。しだれ梅の名所として誰もが知っているこの神社の御祭神は南北朝時代に後醍醐天皇を頂点とする南朝方の武将として北畠親房・顕家親子と共に足利尊氏と戦った結城宗広公。劣勢からの捲土重来を狙い、海路で領地である陸奥国に渡ろうとしたが船が難破したため、この伊勢の国に留まることとなり、失意の内に命を落としている。
 神社としては宗広公の墓所があるこの場所に津藩第10代・藤堂高兌公が文政6年(1824年)に社殿を造営したのが起源。後醍醐天皇による親政「建武の中興(新政)」の実現に貢献した南朝側の皇族や武将を祀っている「建武中興十五社」にも数えられている。
 境内で、まず目を引くのが社殿を守る青銅の狛犬たち。精悍な顔つきに、はちきれんばかりの筋肉の鎧を身にまとったたくましい体躯…。今にも動き出しそうな錯覚を覚えるほどの生命力に満ち溢れた姿は明らかに一般的なそれと一線を画している。像の横の立札によると作者は長崎県の平和公園にある平和祈念像でも有名な彫刻家・北村西望。なるほど納得である。
 その後、参道をまっすぐ進み社殿を参拝。社務所で朱印を捺してもらう際に福禄寿はどこに祀られているか尋ねると社殿の奥ということで再び社殿に戻り、中を覗き込む。よく見ると向かって正面より少し右に福禄寿の像が祀られている。ご利益は無病息災。季節柄なにかと体調を崩しやすいこともあるので、じっくりと手を合わせる。
 参拝を終えると、毎年しだれ梅まつりの際には大勢の人でにぎわう梅園の方に回り、梅の枝を観察。まだつぼみは固く結ばれており美しい花を楽しむまでにはもうしばらく時間が必要だろう。また梅園の奥には、宗広公の墓所や結城医王大明神の社がある。後者は病気平癒にご利益があるためこの日も女性が長い時間手を合わせながら、懸命に祈る姿を見かけた。家族や友人が大病を患ったのだろうかなど、想像は膨らむばかりだが、あのそぶりではとても大切な人に違いない。見知らぬ誰かの無事を陰ながら祈りつつ結城神社を後にする。
 さて、次は最後となる布袋尊霊場・榊原地蔵寺。霊場までの距離は我が社から約20㎞。徒歩・バス等々…どういう交通手段で向かうか思案中である。(本紙報道部長・麻生純矢)
 お知らせ=伊勢の津七福神の各霊場の参拝時間は9時~16時。