高砂区民会館で前葉市長を交えて行われた練習

 この七福神めぐりの最後を飾るのは布袋尊霊場・榊原地蔵寺=津市榊原町=。今までの霊場は最初に行った辯才天霊場・円光寺=津市河芸町上野=を除けば、各々の間の距離はほんの数㎞。なるべく旅の風情を楽しもうと、基本は徒歩で回っていた。だが、残す地蔵寺までは津市東丸之内の我が社から、ざっと見積もっても20㎞強。バスであれば榊原車庫行きの終点から霊場は目と鼻の先だが、それではいささか勿体無い気がする。では近鉄電車で榊原温泉口駅まで行って、そこから徒歩はどうか等々…。時刻表とにらめっこしながら悩みぬいたが結論は『案ずるより生むが易し』。この七福神めぐりを2回踏破した本紙・西田久光会長に倣い、潔く徒歩で行くことにする。
 そのような前段を経て、1月30日10時に我が社を出発。松菱の裏通りを南に抜け国道23号を西へ横断。国道163号に入る。この道の一部の旧名は伊賀街道。伊勢・伊賀両国にまたがる藤堂藩の津城と伊賀上野城を結ぶ大動脈。その入口は現在『新町通り』の愛称で御馴染みだろう。
 中部電力三重支店の前から新町商店街、津新町駅の踏切、津高校、津ドライビングスクールを順々に通りすぎ、中勢バイパスとの合流地点を通過。本来の伊賀街道は江戸時代に商業地域として栄えた八町から川沿いの道を走っているが、この日は時間の都合もあり、国道を直進。津市水道局のT字路を伊賀方面に折れてしばらく進むと昨年の大河ドラマの主役だった平清盛の父・忠盛の出生地と伝わる忠盛塚が右手に見える。
 ここまで1時間半弱で片田志袋町のミニストップへ到着。日頃のジム通いの成果かここまで疲れは余りない。20分ほど休憩し、再び歩き始める。そこから5分ほど進んだ先にある片田郵便局を過ぎた辺りである種の職業病が出る。一言で表現するなら『津の全ての道を通ってみたい』という抑え難い欲求だろうか。
 この国道は車でよく行き来しているが、これより北側に一本入った集落を走る道は車で通れるか少々心配だったので今まで通ったことがなかったが、今日ははばかるものは何もない。
 片田町から片田久保町を経て、片田薬王寺町までを国道と裏道を行き来しながら進む。のどかな集落の何気ない風景だが〝知らない津〟はとても新鮮。白地図をどんどん書き加えていくような心地良さを感じる。
 集落を抜けると、山裾に沿う形で田園地帯が広がるが今は農閑期。乾いた田んぼでは土が豊かな恵みを育むべく力を蓄えている。しかし、それらをぐるりと覆う形で獣害対策の電気柵が張り巡らされており、所々に見られる耕作放棄地がヒトとケモノの戦いの壮絶さを伺わせる。何度も見聞きして記事にしたこともある問題だが、こうやって自分の足と目を使って、じっくり向き合うことで地域が抱える痛みや苦しみをより鮮明に捉えられる。
 田園地帯にある津市水道資料館前の農道から国道に戻ると、目の前に立ちはだかるのが伊賀街道の難所の一つと言われた吹上坂。ここを上がるといにしえの皇女の名を冠する美里町五百野。この集落の途中で旧奈良街道への分岐点に入り、上稲葉方面へ西進。めざす榊原地蔵寺までもう一息だ。下へつづく。(本紙報道部長・麻生純矢)