フィナーレは出演者全員で「乾杯の歌」を合唱

 三重県津市が生んだ世界のテノール歌手、山路芳久氏の没後25年メモリアルコンサートが6日、津リージョンプラザお城ホールで開かれた。主催=同コンサート実行委員会。
 1950年、警察官の四男(末子)として津市で生まれた山路氏は中学生から声楽を学び始め、県立津高等学校を経て69年、東京芸術大学音楽学部に入学。76年、同大学院を修了した後は二期会に所属。同年の日伊音楽コンコルソ・テノールの部で1位、毎日音楽コンクールで3位を獲得、77年に文化庁の給費留学生としてローマ・聖チェチーリア音楽院に進学、イタリア各地の声楽コンクールでも優秀な成績を収めた。
 79年にはミラノ・スカラ座にもロッシーニ『モーゼ』での端役ながら出演している。
 同年にはウィーン国立歌劇場の専属歌手となりヴェルディ『椿姫』アルフレード役やドニゼッティ『愛の妙薬』ネモリーノ役を歌った。世界の著名歌劇場で日本人テノール歌手が専属として主役を歌うのは同氏が最初であり、日本声楽界にとっての快挙であった。その後、82年からはミュンヘン歌劇場に本拠を移して活躍した。
 日本にもたびたび帰国し、所属の二期会の公演やリサイタルなどでその美声を聴かせた。86年からは二期会を退団、フリーとして藤原歌劇団の公演にも参加した。特に例年、年末12月から1月にかけては日本に戻り、12月はベートーヴェンの「第九」を各都市で歌い、1月にNHK「ニューイヤー・オペラ・コンサート」に出演の後、ヨーロッパに戻るのを恒例としていた。
 88年12月~89年1月もそのような例年通りのシーズンとなるはずであった。胸に若干の痛みを訴えていたともいう山路氏は12月に組まれた全17回の「第九」の過密スケジュールをこなしていたが、10回目の公演を終えた12月19日夜、心筋梗塞で急逝した。享年38、その唐突な死は日本声楽界にとって衝撃となった。
 コンサート当日は生前、山路氏と親交のあった実力派の声楽家や、この日のために三重フィルハーモニー交響楽団のメンバーを中心に特別編成したアンサンブルや、合唱団「うたおに」、合唱団「MOA」が同氏とゆかりのある歌劇を披露、満席の聴衆を魅了した。
 また、第2部では同コンサートの実行委員長と指揮を務めた星出豊氏と県立津高校時代の恩師である稲葉祐三氏がステージ場で対談。
 稲葉氏は「いつもにこやかな普通の子だったが歌のレッスンを始めたばかりなのに、世界の有名歌手のことを、好きだ、嫌いだ、と言っていた。当時はちょっと変わった子だなぁ、と思ったが、今になって思えば彼の非凡さの現れだったのではないか。稀有の名歌手であった山路君は郷土、三重県の出身なのだということを誇りとして永く記憶にとどめて欲しい」と話し、生前の山路氏を偲んだ。