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まもなく昭和20年7月28日の津空襲から68年。津市の戦災研究家・雲井保夫さん(64)が本紙を訪れ、秘蔵していた津空襲予告の伝単を見せてくれた。米軍が、日本国民に対する心理作戦の一環でB29から撒布したもの。戦時中、国民は敵機が投下したビラを警察署などに届ける義務があったうえ、予告通りの空襲で津の市街地が焦土と化したなか残った貴重資料で、多くの犠牲を払った戦争の悲惨さを今に伝えている。
「伝単」は、戦時に、相手国の国民や兵士に対し、戦意を喪失させるために撒かれる宣伝ビラのこと。第二次世界大戦時には各国が大量に作成し、配布した。
津空襲予告ビラもその一種で、太平洋戦争中の昭和20年7月27日夜、米軍が、日本本土空襲において実施した「リーフレット心理作戦」で、B29が津の上空から撒布したもの。
縦約14㎝・横約21㎝で、片面は、無数の爆弾を投下するB29の図柄で、津をはじめ国内12の都市名も記載されている。
また、もう一方の面には「日本國民に告ぐ」と題して、①数日中に裏面の12都市のうち必ず4つは爆撃するという予告②避難勧告③アメリカの考える平和は、戦争を強制する日本軍から日本国民を解放することである、など巧妙に人道主義を語り、厭戦気分を煽る文章が毛筆で書かれている。 このビラが撒かれた翌日28日深夜から29日の未明にかけて、B29が津に雨あられのように焼夷弾を投下し、多くの犠牲者を出した。さらに、津と同じくビラが撒かれた宇治山田・青森・一宮・大垣・宇和島の5都市も空襲されたことで、国民の米軍のビラに対する信憑性が高まったという。
雲井さん所有のビラは、撒かれた時に津市内で拾ったという知人(故人)から5、6年程前、研究用にと譲り受けたもの。以来、秘蔵していたが、ビラを多くの人に知ってもらい平和の尊さをかみ締めてほしいという思いから今月2日、本紙を訪れ見せてくれた。
戦時中、国民は敵機が投下したビラを警察などに届ける義務を課せられていたうえ、空襲で市街地が焦土と化したなか、今日まで残った貴重資料と言える。
「平和はある程度努力しないと保てない。若い世代に戦争について知ってほしいし、体験者は声を上げてほしい」と雲井さん。
戦後約68年が経ち体験者は年々減っているが、だからこそ、戦争を知らない世代がこの伝単のような資料を手がかりに自ら知ろうとすることが重要で、二度と悲劇を繰り返さないための一歩となるだろう。
2013年7月11日 AM 5:00
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