12月1日に『民生委員』の一斉改選があるが、全国でなり手不足が問題化しており、津市でも委員を市に推薦する各自治会関係者が改選に向け奔走している状態だ。幼児虐待から高齢者の孤独死や災害発生時の避難誘導に至るまで、活躍の機会が広がり続ける反面、その職責の重さが敬遠される原因になっている。職務を緩和するサポート体制の確立と共に、その魅力を伝える仕組みづくりが求められているといえよう。 

 民生委員は児童委員を兼務していることもあり、地域で暮らす大人から子供まで全ての住人の生活状況を把握している地域の〝守り手〟ともいえる存在。幼児虐待・高齢者の孤独死・災害発生時の避難誘導など、地域の最前線におけるあらゆる局面で活躍している。 任期は3年で今年12月に全国で一斉改選を迎えるが『なり手不足』が深刻化している。理由は多様化する仕事の内容と責任の重さ。近年ではプライバシー意識の高まりによる社会環境の変化もあり、地域を回って住民一人ひとりと密なコミュニケーションを取るのは肉体的にも精神的にも相当な労力が求められる。更に生活相談や必要に応じた福祉サービスの紹介など、繊細な個人情報の管理が問われる職務もある。それらの理由から、民生委員になっても1期限りで辞めてしまう人も少なくない。
 現在、津市の民生委員は定員593名(児童主任委員含む)に対して、現在9名の欠員が出ている。地域によっては1人で600戸ほどを担当をしなければならない地域があるため、12月の改選では定員を600名まで増員している。
 現在の見込みでは、1任期限りで辞める人や年齢的な問題での勇退も含め、200名以上が入れ替わるとみられているが、先述の理由からなり手を見つけることは容易ではなく、現在、各自治会では民生委員にふさわしい人材の確保に奔走している状態だ。
 この問題は社会構造に起因するもので簡単に解決は出来ないが、東京都などの自治体では、民生委員の職務をサポートする民生委員協力員制度を実施。民生委員の職務の負担軽減と同時に、後継者となる人材を育成する試みを行っている。この他、地域の高齢者宅を訪問するボランティア団体を作り、民生委員をサポートする自治体もある。
 津市でも、それに類するものとしては現在育成している認知症サポーターや、防災意識の高まりの中で各自治会単位で次々と立ち上がっている自主防災組織などがあり、民生委員と上手く連携できれば負担の軽減に繋げられる可能性を秘めている。今後は後継者の育成策も含め、より具体的な方策を打ち出しながら制度を支えていく必要がある。
 市は改選に向け、県への第一回目の報告を行ったが今回も苦しい状況という。津市民生委員児童委員連合会会長で現在4期目を勤めている西川明正さん(76)は「民生委員は地域になくてはならない存在で言わば〝正義の味方〟。1期目は仕事と同じで下積みみたいなもの。最初は話すらしてもらえない人でも、顔を合わせるうちに心を開いてくれて様々な相談をしてもらえるようになる。2期目からがようやく民生委員の醍醐味が味えるので、最低でも2期は続けて欲しい」と改選に向け呼びかけるが、民生委員の負担を軽減する制度の必要性も挙げる。
 ますます少子高齢化は加速していき、自ら社会との繋がりを絶った若者の孤立死など新たな問題も発生している。そんな中で民生委員の重要性は増すばかり。定員が増しているこもあり改選に向けて、なり手の確保が進められることとなるが、負担の軽減と共に『苦労の分だけ、何物にも変え難いやりがいがある』と現役の民生委員たちが口々に語るその魅力を伝えていく仕組みづくりも求められてるといえよう。

信包ゆかりの津城址を見学する一行

四天王寺本堂で西田会長の説明を聞く参加者たち

 8月28日、兵庫県丹波市柏原町で史跡の整備活動をしている柏原町民俗資料館友の会=小松忠明会長=が同町にあった柏原藩の藩祖・織田信包ゆかりの史跡を訪ね、約40年ぶりに来津した。
 津市観光ボランティアガイド・ネットワーク協議会(略称・津観光ガイドネット)が受入主体となり、安濃津ガイド会、河芸「江」の会、芸濃ふるさとガイド会と連携して案内した。
 織田信長の伊勢侵攻により、永禄11年(1568)信包は長野氏に養子入り。伊勢上野城を仮城とし、天正8年(1580)完成した津城に移ったが、文禄3年(1594)秀吉により改易され、近江2万石(2万5千石説も)に減封。信包はただちに京都の慈雲寺に入り剃髪して老犬斎を名乗った。後に秀吉がお伽噺衆に迎え、慶長3年(1598)柏原3万6千石を与えられた。信包家は同地で3代続き、後継が絶え廃藩となった。その後50年ほどして織田信雄系が柏原で立藩、明治維新まで10代続いた。
  当日は友の会会員ら26名が参加。11時過ぎに津城跡に到着。信包時代の津城下や現存する津城跡の中の信包時代の痕跡を見学。昼食はレストラン東洋軒で津が生んだ陶芸家・川喜田半泥子ゆかりのブラックカレーを味わった。
  午後は栄町の四天王寺を訪ね、本堂で重文・薬師如来坐像を拝観した後、西田久光ガイドネット会長が信包が母・土田御前をこの寺に葬り200石を寄進したこと、津藩祖藤堂高虎の正室久芳院、側室松寿院は共に兵庫県の出身であることなどを説明。友の会の皆さんは意外な縁に興味深く聞き入り、また境内の墓地では土田御前の墓が立派なのに驚いていた。
 続いて河芸町に移動、伊勢上野城跡を見学。資料館では、信包、お江、重臣となった地元の分部氏について説明を受た。
 最後に信包の長男信重が元和元年まで31年間にわたり領有した林1万石の名残を求め、芸濃町林地区の林屋敷城跡などを散策、400年前に思いを馳せた。
 柏原町歴史の会・竹内脩会長は「信包が丹波に来る前にどんな所にいたのか理解できた。四天王寺で古文書を見せてもらったり、史跡が整備されていて嬉しかった」と話した。他の参加者もガイドの丁寧なおもてなしに感激していた。

日野原重明さん

 「新老人の会」=本部・東京都=三重支部は秋分の日の23日12時半~16時10分頃、三重県文化会館大ホールで、同会会長で、聖路加国際病院理事長の日野原重明さんを講師に迎え講演会を開く。
 現在、チケット販売に協力している津光倫会舘では会員向けと一般向けの申込みを受け付けている。
 100歳を超えてなお、仕事や講演会活動などのスケジュールで多忙な日々を送る日野原さん。乗り物でのわずかな移動時間も原稿執筆に使い、日々の睡眠時間は4時間半、週に1度は徹夜をするという生活だったが、96歳にして徹夜をやめ、睡眠を5時間に増やしたという。今後も少なくとも110歳まで現役を続けることを目標にしている。
 当日はスーパー老人、日野原氏から健康の秘訣などを聴くと共に、三重県立白子高校吹奏楽部のコンサートも楽しむ。
 同会舘の会員は無料。未入会者は参加費1000円が必要(共に昼食付き)。申し込みは電話にて。締め切りは19日。先着100名限定につき早目の連絡を。 当日の流れは、12時半に会場に集合し、12時40分~13時半・流れの説明と食事。13時半~16時10分、講演会&コンサート(間に30分の休憩あり)。
 問い合わせは、津・光倫会舘℡059・228・1151。

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