「春山は笑っているよう、夏山は滴るよう、秋山はよそおうよう、冬山は眠るよう」。以前、俳句の本を読んだ時見つけた山の表現方法で、お茶を嗜む者として季節感を大切にしている身、なるほどと感銘を受けた。
 ところが現実の自然界は異変が来ているのかけじめがない。今年は梅雨らしからぬカラカラ天気で、一足飛びに夏が来てしまい、溜池は干上がり稲作の出来に不安をもたらした。錫杖湖の湖底に沈む石造りのだるまは今も足元まで丸見えである。水の中から顔を少し出す姿が一番愛嬌がある。早くその姿にもどってほしいが、余程の雨がふらなければ…。
 このように人間の力ではどうしようもないのが自然界であるが、自然の美しさは人間の力で維持していかなければならない。
 富士山が世界文化遺産に登録された。日本人の心に温かさと光を与える霊峰富士山、皆が喚起の声をあげた。遠くから拝むだけならよいが、登拝する一人一人がゴミの山にしないよう、自然破壊に結びつかないよう、心して守っていかなければならない。5合目から頂上までは人の波。高齢者などには、一合目から五合目をゆっくり歩くと緑の木々や足元の草花にふれ、富士の誠の姿がよくわかると、テレビで放映していた。体力のある内に挑戦してみたいものだ。
 私が所属している「谷川士清の会」では、小学校へ士清の話をしにいくが、私は時代背景として「皆さんがよく知っている富士山のこぶが出来たのが、ちょうど士清さんが生まれる二年前だったの」と説明している。名著刊行会が平成二年に発行した「増補語林『倭訓栞』下巻」でふじを調べてみた。
 倭訓栞は日本で初めて五十音順に並べた本格的な国語辞典で約二万一千語にものぼる。士清は一人で編集し、前編の出版準備を終え、さて印刷だという一七七六年に亡くなった。その後、子孫や弟子が一一〇年もかけて明治二〇年に全九三巻を出版し終えた。増補本は伴信友(一七七三~一八四三年)の書き入れを上欄に加えた製版本の前編、中編を明治二〇年に井上頼圀らが出版した本である。後編は製版本の後編と同じである。平成二年発行の増補本は上・中・下巻と後編の四巻になっている。
 素人の私が利用するにはちょうどよい。
 「ふじ 日本紀に富士山下雨灰と見え日本後紀に延暦十八年富士山嶺自焼と見えたり其後貞観六年宝永四年にも大に焼ぬいさよひの記にふしの山を見れハ煙もたゝすと書る此時ハもえさりしなるへし宝永の時に小山ふき出たるを宝永山といふ」
 宝永六年に士清は生まれている。こぶが宝永山である。宝永山をパソコンでひいたら全く同じような説明文が出てきた。三〇〇年も前にちゃんと士清さんは『倭訓栞』に記してくださった。
  (馬場 幸子 谷川士清の会代表)