政府と与党は、5年後の2018年を目処にコメの生産調整(減反)を廃止する案を示し、本格的な調整に入っている。それに伴い、減反に協力した農家に支払われる補助金も、来年から現状の3分の1にまで減額される案も提示されている。約50年も続いたコメ政策の大転換に様々な意見が出ているが、県下で最も大きい水田の耕地面積を持つ津市と、3番目の松阪市にも大きな影響が出ることは間違いない。 

 いわゆる『減反』と呼ばれるコメの生産調整は、食生活の多様化など、コメ余りによる米価の暴落を防ぎ農家の経営を安定させるために1970年より本格的に導入された。
 政府が毎年割り出している都道府県別のコメの需要実績と翌年の需要見込みに基づき、都道府県別の生産数量目標を算定する。そして、各都道府県が市町村別で生産数量目標を算定し、各農家に作付面積に応じた目標が割り振られる。
 生産目標を超える分の田にコメ以外の作物を植える転作などで、減反に協力した農家には、10アール(1反)辺り1万5000円の補助金が支払われるという仕組み。その全国の合計額は昨年度実績で約98万件、1552億円にも及ぶ。
 これは中小零細農家を支える貴重な財源となっている一方、生産コストが割高となり、競争性のある市場の醸成や農業経営の発展を阻害するという声があり、有識者や政治家の間でも制度の是非が問われてきたが、TPPへの合意を視野に入れた政府の方針として突如、減反廃止への動きが加速。全国の農業関係者に大きな衝撃が走っている。
 現状では来年から補助金を3分の1の5000円まで減らす案などが示されており、この穴埋めのためにコメの生産量を上げる農家が増えることが予想され、米価の下落は避けられないと見られるからだ。
 三重県に目を向けてみると、平成24年度の数字で県内の全耕地面積6万1000の内、田が4万5900を占めている。補助金は同年実績で2万1024件、24・5億円が支払われている。津市の田の面積は6750と県下最大。隣接する松阪市も6270と伊賀市(6330)に次いで3番目。生産数量目標は津市が2万602tと、伊賀市(2万1721t)に次ぐ2位。松阪市が2万428tで3位と続く。市町別での補助金支払い実績は公開されていないが、基本的には生産数量目標に比例するため、減反が廃止されれば津市や松阪市は県内で最も影響が大きい地域の一つとなる。
 補助金がなくなることでコメの増産が図られ、体力のない中小零細が手放した農地を勢いのある農家や農業生産法人などが集約することで農業の強化が図られるというのが国の見込みと見られている。両市内でも〝攻め〟の農業を提唱する層からは歓迎の声が聞かれるのも事実だ。
 しかし、両市共に市域の大きな割合を中山間地が占めており、獣害による被害や収穫量が小さく機械も入りづらい場所にあるなど、営農効率の悪い田も多い。津市内の中山間地で小規模な農業を営む男性も「減反廃止で大規模化が進むのは平地にある耕作条件が良い田だけ」と漏らす。このような地域では農業だけで生計を立てるのは難しく、他に収入のある兼業農家というケースが多い。そのため、減反が無くなっても赤字を跳ね返すだけの体力は持っている者もいるが、それも一時的に過ぎない。
 中山間地域の農地は農村らしい景観の形成・水源涵養・貯水機能による防災効果など、多面的な役割も果たす。過剰投資は理解を得られないが、何らかの形で守る仕組みが必要となる。
 全国に目を広げても、中山間地にある耕地が全耕地面積の約4割を占めており支援策が必要なのは政府も認識している。耕地の不利度に応じた補助金交付制度の維持や、飼料米への転作などの方針を示しているが、現状では不明瞭だ。農業だけに留まらない重要な施策だけに地方の現実に即した形が必要だろう。

出発を間近に控えた2台の自転車

 『自転車で津のまちをめぐろう』。そう漠然とした考えが浮かんだのは今年の初め頃。きっかけは「伊勢の津七福神」の連載のために各霊場の間を歩いて回った際に自分の知らなかった『津』の魅力にふれることができたから。
 新聞記者稼業を10年近く続けていると、地名や大体の場所を聞くだけで、市内なら大抵の場所にいけるし各地域の主な行事にもそれなりにお邪魔をしている。そういう意味ではある種の慢心があったのかもしれないが、普段車で通る道から一本奥へ入った通りには、『未知』がいっぱいということに気付かされた。一歩ずつじっくりと大地を踏みしめて歩く。すると、そこで暮らす人々の営みや、その地域特有の空気が鮮明に感じられるのだ。
 しかし、710にも及ぶ津市を歩いて回るのは時間的にも厳しい。かといって車では速過ぎる。そうくれば自ずと答えが出る訳だが、そこで出番となるのが自宅の玄関で、ほこりをかぶっていた自転車である。
 自転車で津のまちの様々な場所を巡るという企画内容が固まった時点で、この旅の同行者は決めていた。同級生のМ君だ。彼は私と同じく鈴鹿市生まれの鈴鹿市育ち。職場も鈴鹿市内で津市に対する知識というのは、全くといっていいほどない。そんな彼を、この旅が終わる頃には、それなりの〝津通〟にするのもこの旅の目的である。
 前段が長くなったが、三十路男2人の自転車旅は、11月5日の午後にスタートした。この日の空は快晴。透き通るような空気が心地良い絶好の自転車日和だ。鈴鹿市道伯にあるМ君宅に集合し、チェーンに軽くオイルを差すなど、自転車の最終チェック。ちなみに、お互いの自転車は、私がスポーティーな走り味と快適な街乗りが楽しめるクロスバイク、М君はより本格的な走りがウリのロードバイク。どちらも高価なモデルではないが、自転車初心者には充分すぎる走行性能。1日で走るのに無理のない距離を一区切りとし、次回はサイクルキャリアを取付けた車でその付近まで行き再開という形式をとるため初回は様子見も兼ねて動き易い普段着にヘルメットという出で立ちである。
 М君宅を出発した2人は本田技研工業の鈴鹿製作所などが並ぶ工業地帯のちょうど真裏を走る道を西進。鈴鹿市国府町方面から県道144号に入り、国道306号を横切って亀山市へ入るルートで最初の目的地である津市芸濃町をめざす。
 正直なところ、世のアラサー男子のご多分に漏れず運動不足が原因による〝エンジン〟の不調が少し不安だったが、想像以上に体は軽くペダルもよく回る。秋風を全身に受けながら2人の自転車は順調に津市へと進んでいった。(本紙報道部長・麻生純矢)

 24日に津新町通り商店街を歩行者天国にして行われる第34回新町フェスタの午前中のメインイベント・第12回『和船出車安濃津丸船上結婚式』で挙式するのは四日市市下海老町在住の川合功郎さん(37)・梨佐さん(24)夫妻(9時10分乗船~同30分パレード開始~10時50分挙式開始)。
  功郎さんは鈴鹿市出身。運送会社に勤める会社員。梨佐さんは四日市市出身で化学工業会社勤務。仕事を通じて知り合い、平成23年に結婚、入籍。二人の間には1歳9カ月になる愛娘・来奈ちゃんがいる。
 船上結婚式は、安濃津丸に新郎新婦を乗せ、新町通りを餅まきなどをしながらパレードした後、船上で雅楽の生演奏が流れる中、津藩祖・藤堂高虎公を祀る高山神社の多田宮司により厳かに行われる。
 尚、7時~19時は津新町通りは車両通行止め。
 問い合わせは同組合℡059・226・0363。

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