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11月28日、津リージョンプラザお城ホールで『NHK大河ドラマ「藤堂高虎」を誘致する会』=西田久光代表=主催の第10回記念大会『高虎のつどい』が開催された。今年は津市議会お城議連・藤堂藩五日会・ときめき高虎会との共催で、城郭研究の第一人者・広島大学大学院の三浦正幸教授の基調講演やパネルディスカッションを通じて、津城の魅力を再認識すると共に、市民の総力を結集した形での復元推進を宣言した。
今大会のテーマは「津城の復元を考える」。会場に集まった津藩祖・藤堂高虎公や城郭のファン約350名を前に西田代表は「私たちの会は2001年に津市の21世紀プロジェクトとして発足し、藤堂高虎公をNHK大河ドラマの主人公にしたいと運動を始めたが、その当時のNHK津放送局長の小池静一さんから『NHKとしてはただ大河ドラマになれば良いという運動ではダメで、ドラマ化された時、まちの中に何を残していくのか、まちづくりにどのように寄与していくのかを一緒に立案していかないと実現はしない』と言われた。そこで藤堂高虎は築城の名手であることから、津城をそれにふさわしい形に整備していくべきだと、大河の誘致運動と共に津城復元というものを考えてきた」と10年の活動を振り返った。更に、今回共催という形で企画を練ってきた3団体とは今年1月のNHK東京本社への陳情も一緒に行うなど、共通の目標に向け強固な協力体制を構築していることを語った。
その後、勢州津高虎隊と共に、甲冑姿で登場した前葉泰幸津市長は「皆様がお城に対する色々な思いを持っているのは十分に感じているので、そういう思いをしっかりと受け止めて進めていける市政を目指していきたい」と続いた。
第1部は全国各地の城の復元にも携わっている城郭研究の第一人者・広島大学大学院の三浦正幸教授による基調講演「日本一の築城家・高虎の津城を再現」。 三浦教授は、一般的には熊本城を築城した加藤清正が日本一の築城の名手と言われるが「津城を築いた藤堂高虎こそが日本一の築城の名手」と反論。その理由として、熊本城の内部は、曲がりくねった道に幾重もの門を構えるという構造で戦争の際には敵を引き入れて全滅させるという思想で設計されているため、平時には使い勝手の悪いものであったことをあげた。
対する津城は、最長100mにも及ぶ広大な水堀から立ち上がる高石垣を備え、本丸の入口には二重の門で構成された枡形門を配置。巨大な戌亥櫓と丑寅櫓を結ぶ多門櫓が本丸を取り囲む要塞であり、熊本城とは対照的に一兵たりとも中に入れないという理念に基づいて建られていることを解説。その一方で城壁の内部は非常にシンプルで大きな本丸御殿が築けるため太平の世には政庁の役割を果たせるつくりとなっており、その理念は江戸幕府の権威の象徴である大城郭の江戸城・大坂城・名古屋城にも受け継がれていることを絶賛。高虎が江戸時代に主流となった層塔型天守を開発したことからも「津城こそは日本一の築城家である藤堂高虎がつくった記念すべき城郭で、江戸時代に建てられた城の手本となった日本全国に冠たる名城」と締めくくった。
第2部のパネルディスカッション「わしらの津城」では、三重大学教育学部の藤田達生教授をコーディネーターに迎え、パネリストの三浦教授、西田代表、お城議連の小菅雅司市議、藤堂藩五日会の津坂治男さん、ときめき高虎会の見並勤子さんがそれぞれの立場から、津城に対する熱い思いを語った。その中で三浦教授は、詳細な図面や写真が残っている北側の丑寅櫓・戌亥櫓とそれを結ぶ多門櫓が再建に適していると指摘。それに続く形で西田代表が、現在津城址にある隅櫓は昭和33年の高虎入府350年に戦災復興の一環として建てられたものだが、当時の津市は財政再建団体だったために支援が受けられない中、商工関係者が中心となって市民から広く浄財を募って建設にこぎつけたことを紹介。津城北側の復元に必要な費用は三浦教授の試算で約6億円で、市民や津市ゆかりの人々から募った浄財を財源に、市内産の材木や瓦を使い、市内在住・在勤の職人たちがつくりあげる市民主導型の復元を提案した。
第3部の大会宣言採択では、津市に対して浄財の受け皿となる「ふるさと津かがやき寄付」の整備を求め大会は閉幕した。
2013年12月5日 AM 5:00
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