「二度とうちの敷居をまたぐな」言われたことはないけれど、そういう表現がある。出入り禁止という意味だ。
 敷居はまたぐものである。言わば結界で、寺の山門などの高く幅広い敷居でも、やはりまたぐ。家の玄関や、部屋と部屋との間の敷居もまたぐ。踏んではいけない。これが、日本の常識である。
 ところが、今どきの家は、バリアフリーなのである。洋風のドアも和風の引き戸も、今どきの家の敷居は床と同じ高さである。スリッパでパタパタと歩くとき、ふと気がつくと、スリッパの先端が敷居の上にあったりする。敷居が低すぎる。
 敷居が高いという表現は、人の家に行きにくいときに使われる。またげないほど敷居が高く感じられるわけである。踏めば簡単に越えられそうな敷居も、踏んではいけない。
 畳のヘリも踏んではいけないものである。和室を歩くときには、畳のヘリを踏まないために、歩幅を調節する。昭和育ちの私は、理由を知らないまま、ほとんど反射的に歩幅を調節している。子どもの頃に身に付いた習慣は崩れない。
 バリアフリーのフローリング育ちだったら、敷居も畳のヘリも気にすることなく踏んづけるに違いない。暮らし方の変化が、習慣を変えていく。日本の文化がすたれたと嘆くべきか、変化した社会に習慣が追い付いたと認めるべきか。 (舞)