NPO法人『どんぐりの会』=津市久居中町=の理事長・木芙美さんらが10月29日、津市香良洲町の市立香良洲小学校=東恵校長=を訪れ、スポンサー企業から寄贈された飛び出し注意を喚起する看板3体を贈った。
同会では、地域の交通安全推進活動として、スポンサーから寄贈された飛び出し注意を喚起する看板を、市内の小・中学校の通学路に設置し、管理も行っている。設置するのは同校で2校目。看板には飛び出し坊やの絵と「とびだし注意!!」の文字、スポンサー企業名が書かれている。 「子供達の安全を守る看板を寄付し、学校には浮いた予算を遊具や図書に使って頂けたら」と木さん。
同会への問い合わせは℡津273・6966へ。
2013年11月7日 AM 4:55
『三重県火災共済協同組合』と『三重県中小企業共済協同組合』=津市栄町・佐久間裕之理事長=が、それぞれ設立60周年、40周年を迎え、社会貢献活動として、(公財)三重ボランティア基金に浄財20万円を寄付した。
両組合は、県内の中小企業とその従業員を対象とした災害補填共済事業を目的に設立されたもの。県中小企業団体中央会や商工会、商工会議所などで構成されている。
また同基金では、ボランティアの育成や助成支援を行っている。
10月30日、津市桜橋の県社会福祉会館で目録の贈呈が行われた。佐久間理事長が、同基金が災害支援に関する事業にも取り組んでいることに触れ、「我々の仕事もそれに通じることをやっている。今後もお役に立てれば」と話した。
また、同基金の古庄憲之副理事長が「ありがとうございます。有効に使わせて頂きます」と謝辞を述べた。
2013年11月7日 AM 4:55
踏切番のおじさんがいたという思い出話となった。踏切のそばに小さな小屋があって、そこにいるおじさんが遮断機を上げ下げしてくれた。よく覚えていないが、そうであったような気がする。
踏切では、今と同じようにカンカンと警報機が鳴っていたような気もする。おじさんが鳴らしたのだろうか。おじさんの仕事は遮断機だけだったろうか。
とにかく自動というものがほとんどない時代であった。電動も少なかった。商店の入り口は手で開けたし、水道の蛇口もひねるのが当たり前。おもちゃや時計などを動かすにはぜんまいを巻いた。
踏切ごとに人が遮断機を操作し、混雑する交差点では警官が交通整理をする。列車の切符の販売も、改札業務も人が行ない、給与も請求書も、そろばんを使ってパチパチと計算する。
昔は何とたくさんの仕事があっただろう。それとも、今の人が一人で行う仕事を多くの人で分け合っていたと言った方が適切だろうか。
仕事の多くが変化して、職業のいくつかが消えた。代わりに、新たな職業もできた。家事も介護も今では職業となっている。コンピュータに仕事をさせるための、プログラマーやシステムエンジニアのような職業もできた。
さて、今ある職業のうち、三十年後に残るもの、消えるものの判別は可能だろうか。うちの子の選んだ職業は三十年後もあるだろうか。 (舞)
2013年11月7日 AM 4:55