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「お母さんは捨てるのが苦手だね」と娘に言われた。近頃私に対し客観的にものを言うようになった娘である。家事についても生活についても自信を持ち始めたことがうかがえる。
指摘の通り、私は捨てるのが苦手。「そのうちに使うことがあるかも」と、何もかもしまいこむ。素直に反省して、昭和のものいっぱいの納戸を片づけ始めた。
そして、段ボール箱の中に数十個の湯呑茶碗を発見した。地味な柄の厚ぼったい湯呑は、寄り合いや法事用だろう。何十年も使われず仕舞われていた。
この先出番はない。ポイポイとゴミ袋に入れて、次の不燃ゴミの日に出すことにした。納戸から段ボール一箱が消えて、私は単純にうれしい。
湯呑は、ゴミ収集車に乗せられ、最終処分場に運ばれ、埋められるだろう。何百年か先、考古学の研究者に見つけられたりしたら楽しいなと考える。環境考古学という学問では、昔のトイレやゴミ捨て場を調べて昔の人の生活や自然との関わりを探るそうだ。
市町村によっては、陶磁器類まで燃えるゴミとしているところがある。土から作ったものが灰となって土に戻るのはさっぱりときれいである。でも、灰になっては考古学の資料となることもない。
まだ使える湯呑を捨てるにあたって、どっちが良いか湯呑自身に聞いてみたいところだ。(舞)
2014年1月23日 AM 4:55