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毎年2月3日に津観音で行われている『鬼押さえ節分会』の土産といえば、津市の平治煎餅が販売している「福引せんべい」。
干支の焼印を押した丸い生地を熟練の職人たちが丹念な手仕事で三角錐状に折り曲げ、中心の空洞に「えびす」や「大黒」などの縁起物を入れたこの煎餅。厄除けとしても親しまれており昔は中勢地区の和菓子店で広く作られていたが、現在は同店と、もう一店舗を残すだけとなった。
節分会は江戸時代、旅人たちで賑わった伊勢本街道に春を告げる風物詩として知られていた。しかし、厄男が鬼役を真剣で斬りつけて邪気を祓うという苛烈な内容ということもあり、死傷者が絶えなかったため、明治時代に中止された。以降長らく途絶えていたものを平成9年に地域活性化を目的に復活させている。
種類は大4000円(要予約)、中1300円、小700円。毎年節分当日の午前中に完売するため、午後に受け取り希望の人は予約を。大門本店・江戸橋店・橋南店で販売中。
問い合わせ℡059・225・3212。
2014年1月23日 AM 4:55
ボランティアガイド団体「一志町歴史語り部の会」=吉村武司会長=が、発足からちょうど10年を迎えた今月13日に、十周年記念誌『十年のあゆみ』を発行した。一般向けの販売は行っていない。
10年間の活動を整理・記録して残し今後の活動や新たな挑戦に生かそうと、昨年3月から制作し始めたもの。発足当初からの会員である谷口由和さんが多数の資料を提供したほか、町野滋子さん、前田市子さんとともに編集を担当した。
A4版、62頁。歴史ウォークやJA三重郷土資料館でのガイドや、児童対象の農業体験学習をはじめ様々な活動が年度順に写真を交え記録されている。また会員らが同会への想いなどを込め綴った文も収録した。
同会の会員は平均年齢約70歳で、若い世代をはじめ新規会員を募集中。
谷口さんは「記念誌を冊子で残すことで、子どもなど若い世代の人にも興味を持ってもらい入会してもらいたい」と話している。
2014年1月23日 AM 4:55
竹林を抜けた階段の先に阿由多神社の本殿はあった。社の大きさは参道の長さから想像していたものよりも、こじんまりとした印象。境内には往時の安濃城の姿を描いたが案内図があり、まずは二人で、それを確認する。すると、ここにはかなり大きな山城があったことが理解できる。神社に城跡があるというより、この神社が城跡の中にある、と認識を改めるべきだと理解した。
更に案内板によると、戦国時代にこの安濃城の城主だった細野藤敦は、織田信長の配下である滝川一益を退けたことなどが書かれている。滝川一益といえば歴史にそれほど明るくない私でも歴史小説などを通じてその名を知る織田家中きっての勇将。その攻めをものともしなかったというのは藤敦の戦巧者ぶりと城の堅牢な守りを想像するに十分すぎる材料といえる。
神社を参拝後、今も城跡に残っている櫓台や空堀の跡を見ながら、想像力をフル回転させ、当時の城の姿を思い描いていく。隣のМ君に至っては、私以上で「籠城するとすれば、ここからこういう風に…兵力差は…」などと、なんともいい加減な戦術論を口にし始める始末。私はそれを軽く聞き流しながら来た道とは別の参道で境内の外に出る。
参道を出て、すぐ脇には真宗高田派の寺院・松原寺がある。ここの境内の一角には「義士新三郎」を祀った碑が残っている。
この新三郎という男は、下手人(解死人)だった。下手人という言葉は、時代劇などでは殺人犯を指す言葉として使われているが、ここで言うそれは殺人を犯した集団の罪を肩代わりし身代わりとして殺される人間のことを指す。
江戸時代の初め頃、安濃村と隣の粟加村の間には安濃川の水利を巡る争いが絶えず、安濃村の人間が粟加村の村人を殺めてしまった。そこで、身代わりとして差し出され、命を落としたのが、この新三郎というわけだ。昨年、本紙・西田久光会長がこの史実を元に脚本を執筆し、劇団津演が「水の祈り」という劇を上演したのも記憶に新しい。
水道の蛇口から、いつでも綺麗な飲料水が手に入り、米も余っているという今の世の中。水を争って人が死ぬというのは想像すらできないことだ。その一方、昨年に安濃ダムが深刻な水不足になった際、最後は天に祈るしかないという現実に直面した。そう考えると今でも人は自然の前では、余りに無力で、それはどれだけ時が進もうとも変わらない真理なのかもしれない。
新三郎がどのような人物であったか詳しくは分からない。だが、隣村の村人たちの怨嗟を一身に受けながら、死んで行くのはさぞや無念だったろう。死して義士と崇められるより、愚者と嘲りを受けながらでも生を全うする方が余程幸せである。この碑に込められたドラマをM君に語ると、静かに頷くばかり。碑に合掌して寺を後にする。
自転車のところまで戻ると14時頃。まだまだ日没までには時間があるし、歩いてばかりで自転車に乗ったという満足感もない。ここからは余り詳細なプランを練っていなかったが、ペダルの赴くままという旅も乙なもの。次の目的地を求め出発する。(本紙報道部長・麻生純矢) 近年、ミトコンドリアの研究が進展して色々なことが分かり注目されるようになってきました。
2014年1月23日 AM 4:55