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19日、津市久居ふるさと文学館で、津市内在住の社会人落語家・切磋亭琢磨さん(62)が指導している市内の小中学生3名による切磋亭一門が出演した『第30回・子ども寄席』があった。
10年前から開いているもの。節目にふさわしい演目として選んだのが上方落語の傑作「地獄八景亡者の戯れ」。この演目は、この噺を基にした田島征彦の絵本「じごくのそうべえ」を通じ落語ファン以外からも親しまれている。
一時間以上ある長編のため、切磋亭竜磨くん(13)、知希くん(14)、幸村くん(9)、琢磨さんの順に高座へと上がっていくリレー落語スタイルで上演した。
昨年の夏休み頃から練習を重ねてきた成果もあり、3人とも堂々とした噺ぶり。巧みな話術や、しぐさと表情で死後の世界や地獄を面白おかしく語りながら、会場に集まった人たちを笑わせていた。
2014年1月23日 AM 4:55
県内の医師・歯科医師2千名を会員に持つ三重県保険医協会=津市観音寺町=は2月11日(火・祝)、「食」と「いのち」を考えるドキュメンタリー映画『世界が食べられなくなる日』の上映会を、三重県総合文化センター・フレンテみえ多目的ホールで開く。
この映画は“食”という健康をテーマにした作品で、記録的なロングラン上映で知られる「モンサントの不自然な食べもの」に続く、遺伝子組み換え食品の実態に迫ったドキュメンタリー映画の第2弾。
また、本作で、遺伝子組み換え作物の影響と同時に描かれるのが“原発がある風景”。世界第2位の原発保有数58基が稼働中で常にリスクと隣り合わせのフランスと、福島第一原発事故以降の日本。その地に住む農家がどのような影響を受けたのか?『未来の食卓』『セヴァンの地球のなおし方』で“食の重要性”を訴え続けるフランス人監督ジャン=ポール・ジョーがカメラを向ける。
映画では、GMトウモロコシを2年間ラットに与え続けた研究実験に密着するとともに、福島第一原発事故が周囲に与えた影響を描き、原発と遺伝子組み換えという2つの技術の関係を明らかにしている。
同協会は「これら2つの技術は後戻りできないこと、世界中に拡散していること、体内に蓄積されやすいことが共通点です。未来の食生活と原発問題という、人に密接に関わる問題として考えさせられます。食といのちを考える機会として頂きたいです」と話す。
なお、本作はフランス映画で字幕鑑賞。託児および幼児の鑑賞ブースは設けていない。
受付開始は14時半、上映時間は15時35分~17時33分。参加費は1000円(中学生以上。会場で鑑賞予約券を提示し当日券を購入)。定員400名になり次第締切り。
希望者は?津225・1071(9時~17時)で代表者名・人数・予約券の送付先・電話番号を伝える。定員内で受付けが完了した場合は郵便ハガキの鑑賞予約券が送付される。同予約券を持参した人が優先的に当日券が購入できる。
問い合わせは同電話番号へ。
2014年1月23日 AM 4:55
昭和二十年九月二十七日、昭和天皇はGHQをおたずねになりました。
陛下はマッカーサー元帥の机の前まで進まれて直立不動のまま、ご挨拶されたあと、こう言われました。 「日本国天皇はこの私であります。今回の戦争に関する一切の責任はこの私にあります。私の命においてすべてが行われました限り、日本にはただ一人の戦犯もおりません。絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処されてもいつでも応じるだけの覚悟はあります。しかしながら、罪なき国民が住むに家なく、着るに衣なく、食べるに食なき姿において、まさに深憂に耐えんものがあります。温かき閣下のご配慮を持ちまして、国民の衣食住にご高配を賜りますように。ここに皇室財産の有価証券類をまとめて持参したので、その費用の一部にあてていただければ幸いであります」
マッカーサーは、天皇の訪問の目的が自分自身の保身、すなわち命乞いであろうと思っていました。
ところが驚くべきことに、その天皇が絞首刑になってもいいから国民を救ってもらいたいと言われたのです。
それまで姿勢を変えなかった連合軍の将軍が、立ちあがって陛下の前に進み、抱きつかんばかりに陛下のお手をにぎり、「私は、はじめて神のごとき帝王を見た」と言い、陛下のお帰りの際は、元帥自ら見送りの礼をとったのでありました。
数千年の歴史の中で、さまざまな民族が興っては滅び、滅びては興るということをくりかえしてきました。しかし、その歴史の中で、危急存亡のときに、国民を守るために自らの命を捨てるほどの大きな愛を持った君主は、誰もいませんでした。
ところが天皇は、すべての罪をご自分御一人で背負うという崇高な覚悟を占領軍最高司令官に申し出られたのです。
そしてヤマトの国は、救われました。
天照大神から脈々とつながる天孫の大君の祈りが、いまも我が国を護り導いています。
宮中で一年の最初の祈りが「四方拝」です。
大晦日に身を清めた天皇さまが、特別な衣装を身に纏い元旦のまだ夜も明けぬころからたった一人、伊勢の神宮、続けて四方の神々を拝されるのです。
このとき天皇さまが、このように祈るのだとお聞きしたことがあります。
「この一年、我が国に災いが来ませんように。国民が平安でありますように。だが、もしも、災いがくるなら、この私を通ってゆきますように」と。
大きな災害で多数の人々の命が失われるようなことがあると、陛下は、「この災いは自分の不徳のなすところです。申し訳ありません」と皇祖皇宗、神々に詫びておられるということを知らされました。
先の東北大震災の後に、「自主停電」をされていたお姿も、まさにご愛のお姿でした。
当時七十七歳だった天皇陛下は、それ以前にがんの手術も受けられていました。それなのに「寒いのは着れば大丈夫」と、停電の間は暖房も使われませんでした。ろうそくや懐中電灯を使いながら、暗い中で夕食をとっておられたのです。私たちヤマト人の宝は、物でもお金でもありません。「神話の昔から世界人類すべての平和を願われる天皇という大君のいます国に生まれた」という事実です。それこそが、何にも変えられない宝物なのです。
神武天皇が「八紘一宇」の精神でヤマトの国をお創りくださいました。
人類すべてが、一つ屋根の下の家族なのだという素晴らしいお心です。民族の根っこを忘れてしまっては、もはやヤマト人でないばかりか、動物以下になり下がってしまいます。
ヤマトの魂を失った無国籍の民には滅亡しかありません。私たちは伝えてゆかなければなりません。
どんな時代の中にあっても、どこまでもヤマトの平安と国民の幸せを願われ、そのためにはご自分の命までも差し出してくださる天皇がいますことを。
(赤塚 高仁 赤塚建設㈱社長)
2014年1月23日 AM 4:55