「十二天像」と「観音寺 会式関係文書」の説明をする岩鶴住職(中央)

4月23日、津観音で津観音保存会=飯田俊司会長=の総会があった。
 平成5年に発足した同会は同寺に伝わる貴重な文化財の修復を主な目的としながら、年間を通じて様々な行事を行っている。
 総会後、岩鶴密雄住職が昨年、三重県有形文化財指定の登録を受けた5件から仏画「十二天像」=室町時代=を、新たに津市の文化財指定をめざす13件(うち6件は修復済)から「醍醐山 光台院弘賀の書簡」=室町時代=と「観音寺の会式関係文書」=江戸時代=を会員たちに披露した。
 「十二天像」は、特に密教で重要視される方角を司る護法天を描いた仏画を1幅に3枚ずつ配した計4幅から成る大作。しかし、過去の修復の際などに、なんらかの手違いがあり、本来の配置から入れ替わってしまっていた。そこで岩鶴住職は、それぞれの神が司る方角など宗教的な要素だけでなく、美術や習俗など、あらゆる尺度に目を向けた上で緻密なデータを収集。本来の配置に戻した上で県文化財の認定を受けた。
 「醍醐山 光台院弘賀の書簡」は天文3年(1534年)に京都の東寺であった弘法大師・空海700回忌法要についての諸事を記したもの。天皇の勅会で行われたこの法要に仁和寺・醍醐寺など名だたる京の寺院と共に津観音は地方から唯一名を連ねるなど朝廷との強い結び付きと、当時の栄華を改めて示す内容になっている。醍醐寺にも同様の文献が残っているため、醍醐寺文化財研究所に両文書の内容の照合といった調査を依頼している。

空海700回忌法要の資料「醍醐山 光台院弘賀の書簡」

 残す「観音寺 会式関係文書」は江戸時代に津の街で最も大きな祭礼であった津観音の会式について、当時・津観音の賄方を務めた坂倉家が記した資料群。資料は最古の物が宝暦4年(1754年)で、最新は元治2年(1865年)となっており、料理の献立や人員の配置など会式がどのように行われていたのかが克明に記されている。会式の全貌が伺い知れる一級資料と言えるだろう。
 貴重な文化財を目にした会員たちは、その価値を再確認し、次代に伝えていく思いを強くしていた。