先月、『美杉リゾート』=津市美杉町八知=の代表取締役社長に就任した中川雄貴さん(30)は、中山間地域である美杉町の特性を活かした観光業を国内外に向け展開するほか、飲食などの店が集まる「美杉むらのわ市場」の立ち上げや、同町で撮影された映画「ウッジョブ!」のPR活動を通じ地域活性化に活躍している。少子高齢化が進む地域や、来年度中に全線復旧予定のJR名松線への思いを聞いた。(聞き手=本紙・小林真里子)

中川雄貴さん

─どのような経緯で美杉地域の特性を活かした観光業を始められたのですか。 中川 まず、美杉の現状として、昨年3月末時点で人口は20年間で4千人程減り、約5千300人。65歳以上が50%以上、14歳以下が4%以下。理由は基幹産業である林業の衰退で、職がなくなり人が出て行くという負のスパイラルです。 僕は、美杉町で生まれ育ち、人口が減っていく過程を目の当たりにしてきました。大学卒業後に帰郷したら、母校の小学校が統廃合でなくなっていたんです。 23歳のとき家業の観光業に就いてから、企業というのは、存在することで周りが潤わないと意味がないと考えるようになりました。こんな過疎の町に当社があるのは、なんかせなあかんということだし、ここだからこそできる取り組みが沢山あり、先進的な成功事例が作れるんじゃないかと。
そして、美杉には、有機農業を実践している若者や伝統的かつ先進的な林業をされている方など、〝その道のプロ〟が大勢いるんですが、その方々に依頼して単発で当社のイベントに参加してもらううちに、観光のメニューに取り入れ、もっと色んな人にその魅力を体験してもらいたいと思うようになりました。うちで囲い込むんじゃなくて、外にお金が流れる仕組みも作れると考えたんです。この夏頃までに、ある程度形を作れたらと考えています。
─御社の取り組みについて具体的に教えて下さい。 中川 当社では蛍や野生の鹿、星空を見に行くナイトツアーや伊勢本街道巡りツアーを実施しています。また昨年4月、僕は地元の人達と一緒に「美杉むらのわ市場」を立ち上げ、同年11月には、当社と他の7ケ所の温泉宿とが「中伊勢温泉郷観光推進協議会」を設立しました。このうち、むらのわ市場は、高齢の出店者をはじめ、皆の毎月の楽しみになっています。
これらの取り組みの共通点は、より地域に密着し、地域資源を開発し、それを観光と繋げるということです。これからの観光においては、中山間地域に残っている日本のありのままの暮らしを発信していきたい。
─地元密着の事業を展開しつつ、海外からも積極的に誘客されていますね。  中川 日本のインバウンド(海外から自国への観光客誘致)事情は、例えば2012年度の外国人訪問者数がフランス(約8301万人)の10分の1とまだまだですが、当社では東南アジアを中心に年間約1万人を誘客しています。県や伊賀上野観光協会などとの広域連携により昨年始めた「忍者体験パック」には、1年間でタイ・台湾を中心に千人以上に参加してもらいました。また田舎体験の需要は海外でもあり、今年12月からはフランスの旅行会社で、このパックに伊勢本街道巡りを合わせたツアー商品も販売予定です。
─外国人旅行者にも人気の理由は何でしょうか?
中川 まず、旅行の思い出として残る、現地の人とのふれ合いがあること。また、特に欧米の人などは、知的好奇心が強いのも理由の一つだと思います。もちろん当社は国内が主戦場であり、海外のお客さんは全体の1割くらいです。しかし、何れ観光は日本の基幹産業になると思うので、それに向け動いていきたい。
─名松線の活性化にも町内外からの乗客を増やすことが不可欠ですよね。
中川 はい。僕は、名松線を救うのは海外のお客さんだと思っているんです。というのは日常的利用での乗客を大幅に増やすのは難しいし、国内の観光客はマイカー利用が多い。一方、海外のお客さんはジャパンレールパス(JR各社の鉄道などを利用できる特別企画乗車券)を使う方がすごく多いんです。名松線は短い距離で、都市(松阪市)から田園地帯を抜け、美杉という山間部、秘境に来れるという所がすごいと思うので、そういう推し方をしたらどうかなと思う。
─映画「ウッジョブ!」
が今月公開され、地域活性化に追い風が吹いていますが、今後の目標は?
中川 これまでの取り組みを通じて自分が考える美杉の良さに手応えを感じられるようになってきたので、それらを全てミックスし前に進んでいきたい。地域の特性を活かした新たな観光がインバウンドと合わさることで、さらに強力に地域再生を後押しするのではないかと思います。10年後、20年後、雇用の面も含め、子供達が胸を張って戻って来られるような町になっていたらいいですよね。
─有難うございました。

【中川さんのプロフィール】
◆1983年 津市美杉町生まれ
◆関西大学卒業
◆現在、同志社大学大学院総合政策科学研究科に在籍。「地域の特性を活かしたニューツーリズムによる地域再生やインバウンド」などを実践的に研究している。

小林賢司会長から前葉津市長に寄付金贈呈(右は津城復元の会の西田会長)

 津城復元の一助にして下さい──21日、『津地区明るい社会づくりの会』の小林賢司会長が津市役所を訪れ、前葉市長に10万円を手渡した。
  同会では4月26日に開いた今年度総会の席上、3月1日結成された『津城復元の会』の小菅雅司事務局長が、津城や高虎公関係4団体からの要望を受け、今年1月1日から津市のふるさと納税制度『ふるさと津かがやき寄附』の使途希望項目の新項目として『津城跡の整備』が設けられ、ここに寄せられた寄附金が津城復元整備の基金になっていくことなどを説明し協力を呼びかけた。これに対して同会として10万円の寄附を機関決定したもの。
 小林会長は「小さな団体ですが、皆さんの賛同を頂いて総意で寄附させて頂くことになった。広く薄くの募金ですが、よろしくお願いします」と。
  前葉市長は「それは重い寄附ですね。昨日現在(津城跡の整備への寄附金は)529万6941円。これに加えさせて頂きます」と応えた。
 小林会長は「まだまだ寄附を受け付けていることを知らない人も多い」とし、同会の寄附がより多くの市民がお城復元に参加していく一つの呼び掛けになればとの想いも滲ませていた。
 なお、復元の会では当面の第1次目標として『寄附金1億円・寄附者1万人』を掲げ運動している。
 『ふるさと津かがやき寄附』への問い合わせは市財政課☎229・3124、または津城復元の会小菅事務局長☎090・8869・7528へ。

津城跡にある入徳門の前で安濃津ガイド会の説明を受ける氏子たち

 18日、津藩とゆかりのある岡藩があった大分県竹田市の『扇森稲荷神社』の氏子22名が津城跡や寒松院の見学に訪れた。
 津藩祖・藤堂高虎公と岡藩祖・中川秀成は同じ外様大名でありながら幕府からの信認が厚く、それぞれが西国監視、九州監視という重要な役割を担うなど共通点も多い。そのようなこともあり、両者の親交は深く秀成が堅牢で名を馳せた岡城の大修築を行った時も、慶長17年(1612年)に同城に逗留した高虎公の助言を受け、大手を今も遺構が残る位置に変更した。ちなみにこの城は、瀧廉太郎の名曲『荒城の月』のモデルであることでも有名。
 更に、両藩は婚姻関係を結んでおり、津藩5代・高敏の正室は岡藩5代・久通の次女・幸、津藩9代高嶷の正室は岡藩8代・久貞の長女・岩、岡藩12代藩主・久昭は名君として知られる津藩10代・高兌の次男。
 今回、一行が伊勢神宮への参拝を前に来津したのは久昭と同神社の関わりが深いことにある。久昭は江戸城登城の折、暴漢に襲われたが、前夜に夢枕に立った同神社の神の助言で事なきを得た。その感謝の証として新しい社殿と「扇の森」という社号を贈ったことから今の名前になったという逸話が残っている。
 観光バスで津城跡を訪れた同神社の宮司・相馬久則さんら一行を迎えたのは、「安濃津ガイド会」の会員たち。氏子たちは、丁寧な解説を受けながら、久昭の父・高兌が創立した藩校・有造館の正門だった入徳門や津城の石垣を見学。その後、歴代藩主の墓が並ぶ寒松院も参拝し、高虎公の時代から続く、津と竹田の縁を再確認していた。

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