津城跡にある入徳門の前で安濃津ガイド会の説明を受ける氏子たち

 18日、津藩とゆかりのある岡藩があった大分県竹田市の『扇森稲荷神社』の氏子22名が津城跡や寒松院の見学に訪れた。
 津藩祖・藤堂高虎公と岡藩祖・中川秀成は同じ外様大名でありながら幕府からの信認が厚く、それぞれが西国監視、九州監視という重要な役割を担うなど共通点も多い。そのようなこともあり、両者の親交は深く秀成が堅牢で名を馳せた岡城の大修築を行った時も、慶長17年(1612年)に同城に逗留した高虎公の助言を受け、大手を今も遺構が残る位置に変更した。ちなみにこの城は、瀧廉太郎の名曲『荒城の月』のモデルであることでも有名。
 更に、両藩は婚姻関係を結んでおり、津藩5代・高敏の正室は岡藩5代・久通の次女・幸、津藩9代高嶷の正室は岡藩8代・久貞の長女・岩、岡藩12代藩主・久昭は名君として知られる津藩10代・高兌の次男。
 今回、一行が伊勢神宮への参拝を前に来津したのは久昭と同神社の関わりが深いことにある。久昭は江戸城登城の折、暴漢に襲われたが、前夜に夢枕に立った同神社の神の助言で事なきを得た。その感謝の証として新しい社殿と「扇の森」という社号を贈ったことから今の名前になったという逸話が残っている。
 観光バスで津城跡を訪れた同神社の宮司・相馬久則さんら一行を迎えたのは、「安濃津ガイド会」の会員たち。氏子たちは、丁寧な解説を受けながら、久昭の父・高兌が創立した藩校・有造館の正門だった入徳門や津城の石垣を見学。その後、歴代藩主の墓が並ぶ寒松院も参拝し、高虎公の時代から続く、津と竹田の縁を再確認していた。