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夏休みが終わった。子どもたちの宿題の出来栄えはどうだったろう。今頃は自由研究の発表やコンクールが行なわれているに違いない。
理科少女だった私の夏休みは採集に費やされた。植物標本作りや昆虫採集。岩石や貝殻や海藻も集めた。昭和の自由研究は採集全盛だったのだ。
今の時代にそんなことをしていたら、命の大切さの講義を受けさせられるだろうか。理科少女だった娘は、死んだカエルを拾ってきて解剖し、解剖図と見比べていた。今の時代にそんなことをしたら、問題児と言われてしまうだろうか。
毎日のように台所でイワシやアジの腸を引きずり出し、解剖をしている私。調理や採集と、命の大切さとは別次元のものだと思うのだ。
自然科学への興味は、名前を知るところから始まる。生物を採集し、観察し、名前を確認する。そして、その体の精巧さや命の不思議を知ることが、生命の尊重にもつながる。採集は科学の入口であって、決して残虐行為などではない。
ところで、子どもの頃文房具屋に売っていた昆虫採集セットは何だったろう。A液とB液、注射器、ピンセット、虫眼鏡。注射器を使うのが珍しくて、毎年のように買ってもらったが、液体に殺虫や防腐の効果があったかどうか疑わしい。今となっては、懐かしい昭和の品である。
(舞)
2014年9月4日 AM 4:55