小戸木橋から見た雲出川

小戸木橋から見た雲出川

 

8月15日14時頃。高野団地を抜けた私たちは、近鉄大阪線の線路を渡り、高岡神社で休憩をとる。数年前の話になるが、この辺りの川や用水路で、三重県のレッドデータブックで絶滅危惧Ⅱ類に認定されているヤリタナゴを見かけた。なんだか御大層な肩書がついているが一昔前には、ごくありふれた魚だった。日本が経済発展を遂げる中で、姿を消していったのだ。ウナギのように水産資源として価値の高い生物は話題になりやすいが、それ以外が姿を消しても気づく人は少ない。声高に自然保護を訴えるつもりはないが、犠牲にした命から、何かを学ばなければいけない。
 休憩を終えたM君と私は高岡の集落から日置へと走っていく。この辺りは、民家しかない、いわゆる裏

高通公園のコンクリート遊具

高通公園のコンクリート遊具

通り。地元の人以外は余り通らない道だ。そこから県道15号に入り、伊勢自動車道の高架をくぐると、目の前には雲出川にかかる小戸木橋。少し早いが、一志町とはこれでお別れだ。
 この橋を渡れば久居。橋上から、堤防の近くにある民家を見ると、土台を相当かさあげしている。人と自然がいかに長い間、戦ってきたかが伺える。
 まずは高通公園から。公園の名前は久居藩の初代である藤堂高通公にちなんでおり、同藩の陣屋があった場所にある。公園内には、昭和を感じさせるコンクリート遊具が並んでいる。それらは蒸気機関車やゾウ、鮮やかな色をしたカエル等々。じっと眺めているだけで、子供の頃の記憶がよみがえってくる。私は幼少期にここで遊んだことはないが、この公園で遊んだ子供の数だけ、思い出が刻まれているだろう。
 公園から、県道15号を東へ。途中、近くにある友人宅へ立ち寄り、持ち合わせていなかった工具を借りる。友人宅近くの道路標識には一本松とある。これは、ほんの10年ほど前まで旧久居市のランドマークであった一本松があったことにちなむ。松は交通事故が原因で枯れ、惜しまれつつも伐採された。地名は街の記憶をたどる際に背表紙のような役割を果たす。この松のことを知らない何百年先の未来でも看板にある地名を見るだけで、その存在を間接的に認識できる。
 軽い整備を終えた私たちは近鉄の踏切を渡り陸上自衛隊久居駐屯地の前へ。私はこの仕事を始めてから、自衛官へのイメージが大きく変わった。他国の脅威や災害に対して自らの命を投げ出す覚悟を持った彼らが厳しい訓練に身を置く姿などを見るうちに自然と敬意を抱くようになったのだ。この駐屯地が津市にあるのが本当に頼もしい。
 時間は16時。今日の行程はここまでにしよう。帰路の途中、野邊野神社に立ち寄り、境内の英霊殿を参拝。今日の平和は、家族や国民のために戦った彼らの尊い犠牲があってのもの。ゆっくりと目をとじて、感謝と祈りをささげた。(報道部長・麻生純矢)