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NPO法人「海の達人」=大野木博久理事長、津市河芸町、マリーナ河芸内=は20日(土)・21日(日)10時~16時、マリーナ河芸で「第9回海のバリアフリーまつり」を開く。
同イベントは、海の世界のバリアフリーを紹介しつつ、マリンレジャーを中心に元気に楽しむ障がい者達を紹介することで、海が健常者との差がなく、また年齢の大小に関係なく楽しめるフィールドである事を広く知ってもらうのが目的。後援=国交省中部運輸局、三重県、津市ほか。入場無料。雨天時は翌週に順延。
《20・21日のイベント》
▼各種体験=アクセスディンギー、シーカヤック、ボート・ヨット、ハウスボート、バリアフリー教習艇など、安全に楽しめる。 ▼販売・展示コーナー=セイラビリティAJUのメンバーがつくる「ピア名古屋」のワインをはじめ、三重、愛知県内の作業所の木工、手芸作品を展示販売。 ▼出展コーナー・バリフリグッズ展示=福祉車両などの福祉器具を出展するコーナーと多彩なバリアフリーグッズを展示紹介。 ▼パネル展示=ダイビング、ヨット、ハンドサイクルなど、ハンディキャップをものともせずに趣味やスポーツを自由に楽しむ障がい者の活躍を紹介。
《20日のイベント》
▼バリフリげんき舞=13時~15時、障がいを持つメンバーも一緒に楽しんでいるグループの元気な踊りを披露。
《21日のイベント》
▼海の運動会=13時~15時、シーカヤックに乗って海の上で綱引き、玉入れ、パン食い競争など、陸上とはひと味違ったスリルと楽しさが味わえる。当日参加OK。
問い合わせは事務局☎津245・5001。
2014年9月18日 AM 4:58
(一社)三重県自動車会議所=津市雲出長常町=は創立50周年記念公開フォーラムとして11月26日(水)14時半(開場14時)~15時半、津市センターパレスホールで講演会を開く。
講師はタレントの山田邦子氏。
山田氏は1960東京生まれ。81年にドラマ「野々村病院物語」でデビュー。その後も数々のバラエティ番組に出演し人気を得、89年~8年連続でNHKの好きなタレント1位に輝く。 現在はNHKラジオ「日曜バラエティ」の総合司会を務めている。
一方、07年に乳がんに罹患、2回の手術でがんをすべて摘出した。この乳癌罹患をきっかけにして、タレント活動の傍らがんに関わる啓蒙活動に積極的に参加するようになり、08年4月には癌に対する知識と理解を呼びかけるチャリティー団体「スター混声合唱団」を鳥越俊太郎らと結成。08年から2010年まで厚生労働省「がんに関する普及啓発懇談会」委員を務める。09年、NPO法人「リボン運動 がんの薬を普及する会」を結成し、代表理事に就任。同年3月にはNPO法人「キャンサーリボンズ」のシンボルソング『あなたが大切だから』を作詞・作曲。08年に乳がん体験本「大丈夫だよ、がんばろう!」を出版。
近年は「乳癌体験と早期検診を呼びかけ」をテーマに全国で講演する。
定員500名。参加費は無料だが入場券が必要。
参加申込みは、往復葉書の往信表面に〒514─0303、津市雲出長常町字六の割1190─1、(一社)三重県自動車会議所創立50周年記念運営部会と記入。返信裏面には何も記入しない。
返信表面には郵便番号・住所・氏名を記入し、往信裏面には①フォーラム名②住所③氏名(ふりがな)④電話番号を記入。
1枚の往復葉書で2名まで申し込み可能(2名分の氏名を明記)。定員を超えた場合は抽選。結果は返信葉書で通知。返信葉書が入場券になるので持参すること。応募締切は10月20日(月)当日消印分まで有効。
問い合わせは同会議所☎059・234・7215へ。
2014年9月18日 AM 4:57
8月15日14時頃。高野団地を抜けた私たちは、近鉄大阪線の線路を渡り、高岡神社で休憩をとる。数年前の話になるが、この辺りの川や用水路で、三重県のレッドデータブックで絶滅危惧Ⅱ類に認定されているヤリタナゴを見かけた。なんだか御大層な肩書がついているが一昔前には、ごくありふれた魚だった。日本が経済発展を遂げる中で、姿を消していったのだ。ウナギのように水産資源として価値の高い生物は話題になりやすいが、それ以外が姿を消しても気づく人は少ない。声高に自然保護を訴えるつもりはないが、犠牲にした命から、何かを学ばなければいけない。
休憩を終えたM君と私は高岡の集落から日置へと走っていく。この辺りは、民家しかない、いわゆる裏
通り。地元の人以外は余り通らない道だ。そこから県道15号に入り、伊勢自動車道の高架をくぐると、目の前には雲出川にかかる小戸木橋。少し早いが、一志町とはこれでお別れだ。
この橋を渡れば久居。橋上から、堤防の近くにある民家を見ると、土台を相当かさあげしている。人と自然がいかに長い間、戦ってきたかが伺える。
まずは高通公園から。公園の名前は久居藩の初代である藤堂高通公にちなんでおり、同藩の陣屋があった場所にある。公園内には、昭和を感じさせるコンクリート遊具が並んでいる。それらは蒸気機関車やゾウ、鮮やかな色をしたカエル等々。じっと眺めているだけで、子供の頃の記憶がよみがえってくる。私は幼少期にここで遊んだことはないが、この公園で遊んだ子供の数だけ、思い出が刻まれているだろう。
公園から、県道15号を東へ。途中、近くにある友人宅へ立ち寄り、持ち合わせていなかった工具を借りる。友人宅近くの道路標識には一本松とある。これは、ほんの10年ほど前まで旧久居市のランドマークであった一本松があったことにちなむ。松は交通事故が原因で枯れ、惜しまれつつも伐採された。地名は街の記憶をたどる際に背表紙のような役割を果たす。この松のことを知らない何百年先の未来でも看板にある地名を見るだけで、その存在を間接的に認識できる。
軽い整備を終えた私たちは近鉄の踏切を渡り陸上自衛隊久居駐屯地の前へ。私はこの仕事を始めてから、自衛官へのイメージが大きく変わった。他国の脅威や災害に対して自らの命を投げ出す覚悟を持った彼らが厳しい訓練に身を置く姿などを見るうちに自然と敬意を抱くようになったのだ。この駐屯地が津市にあるのが本当に頼もしい。
時間は16時。今日の行程はここまでにしよう。帰路の途中、野邊野神社に立ち寄り、境内の英霊殿を参拝。今日の平和は、家族や国民のために戦った彼らの尊い犠牲があってのもの。ゆっくりと目をとじて、感謝と祈りをささげた。(報道部長・麻生純矢)
2014年9月18日 AM 4:55