U-12で優勝した「津ラピドFC」

U-9で優勝した「津ラピドFC」

 津西ライオンズクラブ=滝澤多佳子会長=が主催する同クラブ創立20周年記念事業の一つ「小学生フットサル大会」が12月22日、津市体育館で開かれ、12歳以下のU─12と9歳以下のU─9の各7チームが実力を競った。後援=津市教委。協力=特定非営利法人三重県生涯スポーツ協会。
 開会式で、子供達を前に滝澤会長は「当クラブでは青少年健全育成を願っています。スポーツを通じて皆さん達が仲良くなってもらい、フェアプレイの精神で頑張って試合に臨んで下さい」と挨拶。
 また、来賓の前葉泰幸津市長は「百獣の王と言われるライオンは強いけれど、全ての獣の中で、草原の中で自分達は何をやらなくていけないかを分かっている。津西ライオンズクラブのメンバーさん達も世の中の事、自分達が何をすべきかを分かっている。サッカーを応援したいという純粋な気持ちに応えて力いっぱい頑張ってほしい」と選手達を激励すると共に、同クラブへの感謝の気持ちを表した。
 続いて、中野和代教育長は「今日は冬至。寒い冬でも自分の体を鍛えて元気に過ごしてほしい、という津西ライオンズクラブさんの思いを全身で受け止めて、楽しい1日にしてほしい」と期待を込めた。
 また、安濃F・Cのキャプテン、紀平颯太君が「僕達は日頃の練習の成果を発揮し、観客の皆さんに最高のプレイを見せる事を誓います」と力強く選手宣誓。
 試合は、総当たりリーグ戦を行った後の順位決定戦で入賞を決した。
 白熱した試合展開の結果は=▼U─12…優勝・津ラピドFC。準優勝・片田サッカー少年団。3位・アミルテFC。▼U─9…優勝・津ラピドFC。準優勝・安濃FC。3位・片田サッカー少年団。

小野平の滝

 11月29日、自転車の旅も3日目。芸濃町から、次の目的地である安濃町へ向かうコースを走る。11時頃、この日のスタートとゴール地点に設定した安濃中央総合公園に到着。早速、車のキャリアから自転車を降ろし、前輪を取り付け軽く試運転。ペダルを回し、調子を確かめていると、М君が「タイヤの空気圧とかブレーキは大丈夫?」と声をかけてくる。大雑把な私と対照的に、М君は細かいところまで良く気が付く。携帯用空気入れで私の自転車のタイヤの空気圧を確かめ、六角レンチであちこちのボルトを締めてくれた。
 ようやく準備が整ったところで出発。公園からグリーンロードを芸濃町方面に進み、県道42号から河内ダム方面へ。前回走った辺りまでくると、途中で安西橋を渡り、県道28号亀山白山線を北神山工業団地を見上げる形で南進する。
 この道はグリーンロードと並行する形で走っているが、道幅が狭いこともあり地元の人以外が通ることは少ない。そのおかげで、気持ちよく走れる。山間ののどかな景色を楽しみながらのサイクリングと洒落込みたかったが、緩やかな上り坂がしばらく続くこともあり、運動不足の私には辛い。 息を切らしながらしばらく進むと、右手に「小野平の滝」と書かれた小さな白い看板を発見。看板に従い細い脇道を進むと、舗装されていない砂利道に至る。スリックタイヤは衝撃にデリケートなため、パンクを心配し、自転車を押しながら進む。生い茂る森に沿って走るこの道が本当に正しいのか、少し不安になるが滝を見るまではこちらも引き下がれない。ちょうど見えてきた橋の下を流れる滝川の上流に向かって耳を澄ませ、まだ滝が近くにないことを確かめると、ここで自転車を駐輪。
 更なる悪路を進む覚悟を決めて再び出発すると、間もなく綺麗に舗装された道と合流した。まるでコメディのような展開に二人で苦笑い。自転車を取りに戻ろうかとも思ったが、滝の付近は悪路である可能性も高いので、そのまま徒歩で川の上流をめざすことに。
 この辺りは旧芸濃町と旧安濃町の境目で、安濃町の墓地公園や三重県企業庁の安濃調整池の前を通り過ぎると、滝まで500mという看板を発見。荒れた林道をしばらく進んだ先で、ようやくお目当ての小野平の滝に到着した。落差6mと大きくはないがすっきり美しい姿が印象的。夏場には涼を求めて訪れる観光客がいるのも頷ける。上流から流れてきた丸太が滝壺にかかっていたが、崩落したと報道されていた岩は今では無くなっている様子。流石に滝の周囲には季節柄、私たち以外は誰もいない。しばし、美しい景色を独占しながら昼食を味わった。(本紙報道部長・麻生純矢)

高堅の墓の前に設置された案内看板

 津市観光ボランティアガイド・ネットワーク協議会の看板設置事業の一環として同協議会加盟ガイド団体「久居城下案内人の会」が12月、津市久居ニノ町にある久居藩の菩提寺・玉せん寺にある2代藩主・藤堂高堅と3代藩主・高陳のそれぞれの墓の前に、新たに案内看板を設置した。
 同案内人の会では以前から、この墓を案内する際に看板がないため不便を感じており、同寺が、普段訪れる人にも藩主の墓であることがわかりやすくなると快く許可したため建てられたもの。
 久居藩は、寛文9(1669)年、津藩主・藤堂高虎の孫、高通が分家して5万石を分封され立藩。16代まで200年続き明治維新を迎えた。なお、2代・3代以外の久居藩主の墓は津市寿町の寒松院にあるが、その理由は不明。
 看板は、高さ約120㎝でプラスチック製の縦約60㎝、横約30㎝の板に「久居藩主 第二代 高堅之墓」などと書かれている。
 このほか11月から12月にかけて一志、河芸、芸濃、美里町と旧津市内でも、各地域のガイド団体によって史跡に合わせて20本の看板が設置された。

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