今、妖怪ゲームや妖怪体操が流行っています。子どもたちはゲームやメダルを使って画面の中で妖怪と対決しています。妖怪ウオッチの蓋を開けて覗くと、人間界の人には見えない妖怪がいて、悪さをすればやっつけるというゲームです。 子どもたちはゲームを通して悪に立ち向かい、正義感に満たされるようです。私は小さい頃に民話や昔話を読んで、怪しく恐ろしく感じていました。又、その一方では教えられる所がありました。時代と共に常識や思いが変化していきます。今はその古典的な妖怪も共に活躍し、人の心をくぎづけにしています。
 妖怪とは化け物のこと。人の目に見えない理解しにくいもので、恐怖、畏敬の念を持ちます。それに姿形が作られ、人々の心のすき間に善悪の化け物がうごめいているものです。さかのぼって奈良時代の史書『日本書紀』斉明天皇の七年八月の条に「鬼」の言葉が記述されています。「鬼」とは死者の霊魂。鬼=オニは「陰(オン)」の訛ったものです。鬼は死者や祖先の霊が善意ならば人を守る神「鬼神」(例えば「鬼子母神」)となり、悪意あれば地獄鬼(羅殺)になります。
 山姥、雪女、蛇女の話は日本の穀霊神や再生神に結びついており、神話のイザナミが原形です。女性はすべてを生み出す神秘的な存在です。記紀には書かれていない地方の話が民話となっていき、人々の間で云い伝えられ、生活の知恵や教訓が含まれて現代へと繋がれてきています。日本人の宗教的観念「あらゆるものに霊は宿る」には、動物、植物や日常用品の中にも化け物を作り出しています。 『日本書紀』の推古天皇御代三十五年春二月の条に「貉(狸)有りて、人に化けて歌をうたう」と記述があります。歌は呪術の一種とされ、狸・狐・兎が呪術を操る動物とされていました。狸・狐・兎はもっとも身近にいた動物なので昔話の中に残っていきました。
 平安時代には怨霊信仰が強く、不思議な事件レポート『日本霊異記』に狐が「女」に化けて嫁入りしたり、更にこの時代に活躍した陰陽師安倍晴明の母は信太の森に棲む狐だったという伝説があります。妖狐は山に帰る前に田植えをして、後に五穀豊穣や財宝を与えるので稲荷は神の使いとされています。
 鎌倉・室町時代の作品は小さな入れ物や小さ子から現れて人に富貴を与える桃太郎・一寸法師・浦島太郎や鉢かづき等は平安時代の物語をベースに作られ、江戸時代では庶民の間に第一回妖怪ブームが起こり、有名な絵師や菱川師宣、葛飾北斎らが描いています。
 その他に、飛頭蛮、一つ目小僧、海ぼうず、河童や夕方に現れるぬらりひょん等があります。悪魔と神が同居する境界に厄病、鬼を防ぐために村はずれに道祖神、庚申塚が建てられています。そして生と死の境目はその人その人の心にある天と地獄なのです。
 さて、私は若い頃に友人につけられたニックネームからお気に入りの持ち物には河童の似顔絵を描きます。河童はいたずら好きで、お茶目な水の神とされています。だから私にとっては楽しい空想時間になります。
 現代では水木しげる氏による「ゲゲゲの鬼太郎」「一反もめん」が書かれ、柳田国男氏は妖怪を民俗学にとらえています。
 今は「えたいの知れないこと」は妖怪の仕業としており、現代の妖怪ウオッチで第二回妖怪ブームが起こっています。ジバニャン等が大活躍しています。
 人は命のある限り闇にとらわれずに、生に役立つものであって欲しいですね。
 妖怪たちは現代的エッセンスにアレンジされて、いろんな昔話として 今も人々の心の中に生き続けて行くのでしょうね。楽しい正義感の強い妖怪さんやーい。いらっしゃーい‼
 (全国歴史研究会、三重歴史研究会及びときめき高虎会会員)

 「肌細胞が若返るアラ入り化粧水とクリームを使い始めて2ケ月。始めは半信半疑でしたが、続けてきた甲斐あって、ついに私の肌にも変化が表れました!
 肌に弾力が出てきたのはすぐ分かりましたが、気になる目元や口元は正直想像していたような実感はありませんでした。そこで相談しクリームを多めにとって気になる箇所には念入りにすりこむよう、アドバイス通りにケアし続けたら、嬉しくて鏡を何度も見てしまうほど、しわ・たるみが目立たなくなっていきました。
 化粧品のCMで『目元にハリ!』というフレーズをよく耳にしますが、本当に目元にハリが出た!と感じたのは、この化粧品が初めてです!くすみなども少しずつ薄くなり肌に透明感が出てきたように思います。
 友人もこの化粧品を使っていますが、『首もこのクリームでケアし始めたの。前と全然違うでしょ!』と言われ、見ると、首に何本もあった横筋が目立たなくなり引き締まっているようにも感じました。私も負けないぞ!と先の変化を楽しみに、これからも愛用します。もう手放せません!」
 アラ入り化粧品は、肌細胞を若返らせることのできる今までにない化粧品で、肌本来の力で潤いを作り出し、弾力ある瑞々しい肌へ導きます。何を使っても満足できなかった方、諦める前に、ぜひお試し下さい。
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津市の指定史跡「雲出井」

津市の指定史跡「雲出井」

式年遷座も記憶に新しい「香良洲神社」

式年遷座も記憶に新しい「香良洲神社」

 私とM君は木造城跡から田園の中を走る道をのんびりと北東へ進んでいく。11月の風はひやりと冷たいが空からは包みむような優しい日差しが降り注ぎ、私たちを照らしてくれる。ペダルから動力部に送り込む力の量に比例して体が少しずつ温まってくる。
 しばらく自転車を走らせると、用水路に古びた石垣が施されている場所に到着する。これが津市の指定史跡である雲出井だ。この用水路を手がけたのは津藩祖・藤堂高虎公が育て上げた土木・水利のプロフェッショナル・西島八兵衛で、雲出川下流域の慢性的な干ばつを解消すべく、延長約13㎞にも及ぶ大工事の末に完成させている。用水路の3分岐点のすぐ近くにひっそりと建っている水分神社には八兵衛の霊が祀られており、水を手に入れることがどれだけ大変で、人が生きるために必要なものなのかを再認識できる。
 その後、私たちは香良洲町へ向うべく自転車を走らせる。途中、紀勢本線の線路を横切り旧伊勢街道を南へと進んでいく。どちらも往時は、多くの人々が利用していたが今は、その役割を別の交通手段に譲っている。十年一昔と言うが、人の世の移ろいのなんと早いことか。今は自動車が全盛だが、化石燃料の枯渇や環境意識の高まりがあれば、自転車が準主役くらいに大抜擢されることだって充分あり得ると思う。
 旧伊勢街道を途中で東へ曲がり、国道23号を横断。県道香良洲公園島貫線を東へ進んでいくと雲出古川にかかる香良洲橋がみえる。ここを渡ればいよいよ香良洲町だ。
 とりあえず、スマートフォンで地図を開き、М君に香良洲町の地形と今日のルートを簡単に説明する。M君はうなずきながら「綺麗な三角州やなぁ」とつぶやく。まずは香良洲神社に向ってまっすぐ進んでいく。ここの祭神は伊勢神宮の天照大神の妹神・稚日女尊。昨年、20年に一度、社殿を建て替える式年遷座が町をあげて行われたことは、記憶に新しい。それに伴う費用は氏子の寄付によってまかなわれており、地域にとってどれほど大切な存在として捉えられているかは想像に難くない。
 M君にこの当たりの情報をかいつまんで説明した後境内へ。無神論者を自称してはばからないМ君の神仏を参る姿勢は独特。賽銭は軽く放り投げるように入れ礼も角度が浅く非常にそっけない。それに対して「きちんとお参りすれば良いのに」と諭すと鼻で笑われることもしばしば。だがこの日は違った。
 まだ新しい社殿の前に立った彼の動き自体はいつもと大きな差異はないが、その背中には氏子たちの誇りと熱い思いに対する敬意がにじみ出ているように見える。この姿だけを見れば、まだまだ不遜と言われても仕方ないが、彼の姿をいつも見てきた神様は「やればできるやん」と思わず微笑んだに違いない。 (本紙報道部長・麻生純矢)

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