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2015年1月
友人夫婦と出かけた。こんな時に困るのは呼びかけ方だ。名字で呼ぶと二人が振り返る。普段名字で呼んでいる友人を、突然下の名前で呼ぶのは気恥ずかしいし、お連れ合いの呼び方が難しい。
向き合って「ご主人さんは…」と話しかけてみる。「ご主人」は便利な言葉だが、何組かの夫婦がいる時には使いにくい。それに私は、この言葉があまり好きではない。選挙のたびに我が家に現れる知人で、「主人は元気か。よろしく伝えて」と言っていく人がいた。私は「ええ、元気でおります。申し伝えます」と返事しながら、「せめてご主人と言ってよ。私は使用人か?」とひそかにつぶやいていた。
街歩きのテレビ番組などで、タレントが地元の人に対してする呼びかけも気になる。「ちょっとお姉さん」「お母さんお母さん」「奥さん、こんにちは」「おばあちゃんどこ行くの」
四十代ぐらいのタレントが五十代ぐらいの女性に「お母さん」と無頓着に呼びかけたりする。中年の女性が全て誰かの奥さんで、誰かのお母さんであるとは限らない。「私はあなたのお母さんではない」と怒らないまでも、気分を害する人がいるに違いない。
離婚や未婚が増えている現代、これからますます難しくなる。ご主人やお母さんでなく、何かもっと便利な、汎用性の高い呼びかけ方はないだろうか。 (舞)
2015年1月15日 AM 4:55
私の妻(72)が69歳だった当時、悪性リンパ腫3期と診断され一ヶ月入院し抗ガン剤治療を受けました。退院後、週一回の抗ガン剤投与を続けていました。退院日以外は自宅で療養している妻が、ある日「庭の石が私をにらんでいるから怖い」と言うのです。その庭には水琴窟と岩石が数個あるのですが、私にはそのような気配は感じられませんでした。しかし、妻は庭の石を見るたびに「この中の一個の石が、私をにらみつけているので怖い」と言うのです。私には理解できず困りました。
その2~3日後、妻が新聞の書籍の広告に「神様の戒めと霊の障りを解く」と書かれた書籍の紹介を見つけ、この本を買いたいと言うので書店で取り寄せました。妻がその本を読んだ後、著者に相談したいと言いだし私が直接お会いしました。
著者には、現在の妻の病気の状態だけを話し家の中の状況などは話しませんでした。平成23年5月に自宅に来て頂きました。
著者は家の周りを歩き何かを感じとっているようでした。丁度、水琴窟や岩石のある庭に近づいたとき、突然著者が「苦しい〝水〟が欲しい」と言われたのです。私は何もわからないままに〝水〟を渡しました。五ヶ所に〝水〟を置きました。
私がなぜ〝水〟を置くのか尋ねると、この石にはたくさんの霊が憑いているからだと返事されました。その結果、庭の石は全部取り除くことになりました。後日、業者を呼んで水琴窟や岩石をすべて撤去し平地に戻しました。
その晩から夜就寝すると天井や壁がうねり、床が波を打って寝ているベッドが突き上げられ、また絶叫も時々聞こえたそうです。まるでオカルト映画を地でいくような状況だったと妻が言っていました。この世の終わりかと思って震えていたら夜が明けてきたそうです。その日をピークにし、次第に一週間ほどで静かになりました。
そのことを著者に尋ねますと「石に憑いていた霊が自分たちの苦しかったことを表現したのだろう」と話されました。そして水琴窟や石の件だけでなく、神様の祀り方やご霊様の供養など、いろいろな間違いについて教えて頂きました。
その後著者の指導のもとに、良くなって欲しい一心で教えられたことを実行しました。
病院の診察や検査を受けながら半年が過ぎたころです。検診で血液の状態を撮影していただくと、血液の中にびっしりいたガン細胞が全く見あたらないのです。
担当医は経験豊富なベテランの方ですが「こんなことは初めてだ。信じられない」とおっしゃってくださいました。その後、定期的に診察を受けていますが異常はありません。
当時、「もう治る見込みがない」と終末医療であるホスピスの本を送ってくれた国立大学医学部附属病院勤務からのちに私立大学医学部附属病院のトップを務めた医師である妻の兄も喜んでくれました。
私たち夫婦は教員を退職して今まで、霊の存在には全く関心がなく知識もありませんでした。しかし、この出来事を通して近代医学に基づく医療の世界と、心霊の世界とが関わり合っていくことが大事ではないかと感じました。
そうなれば治療の効果がいっそうあがるのではないか、救われる人ももっと多くなるのではないかと思いました。
医学の世界と心霊の世界との融合が行われたら、多くの人に幸せをもたらすと思います。このようなことに取り組んでみえる先生方もいらっしゃると思いますが、ぜひ私たちの体験も参考にしていただければと祈っています。
(岐阜県可児市広見)
2015年1月15日 AM 4:55
6日、津市大門の津市センターパレスホールで津商工会議所主催の『平成27年・第29回年賀会』が開かれ、地元政財界から約460名が出席した。
今年も、津商工会議所青年部元気玉太鼓が迫力の演奏で冒頭を飾った。続いて岡本直之会頭が、昨年の、消費税増税・再増税の延期・衆議院選挙・自然災害・国際関係を振り返り、「昨年はスポーツ界を除いてでありますが、慌しく過ぎ去った一年ではなかったかなと思います。その一年の終わりに、安倍内閣が長期安定政権としてスタート致しました。
戦後70年の歴史と歩みを総括と言いますか、反省して頂き、長期のスパンで物事を考える政治本来の役割に今一度立ち帰って頂いて成長戦略、財政政策であるとか、長期の課題に積極果敢に挑戦して頂くことを期待しているところです。
幸いにして、新年は未年です。未が来ると書いて未来。無限の可能性を持った未来の年です。加えて、未年は十二支では八番目。八は、日本では末広がり、また中国でも古来から、安定した成長、繁栄をする良い数字だそうです。
ですので、本年は、安定した成長、安定した繁栄をする無限の可能性を持った年であると解釈したい」と新年への期待を語った。
次に鈴木英敬県知事が、27年度にしっかりと取り組まなければならない課題として、「三重県は中小企業・小規模企業振興条例を、商工会議所の皆さんのお力をお借りして26年4月からスタートしました。少しずつ普及を図っていますが、まだまだ皆さんに知って頂いていない、利用頂いていない部分があるため、しっかりと進めていきたい」などと力強く話した。
また前葉泰幸市長が「津市は今年、合併10年目を迎えます。10年間で職員の数を合併前の3119人から2499人まで2割減を実現し、随分効率的な組織ができました。
その結果、津市は今、財政調整基金、貯金が191億。これは、全国の人口30万規模の都市を調べたら全国1位でした。これで、いよいよスタートするサオリーナなどの起債の償還にあたっていくわけですが、それ以外はしっかりと市民生活のために使わせて頂くのが目標です」と抱負を語った。
その後、参加者代表による鏡開きで景気付けし、田矢修介津市議会議長の音頭で乾杯。賀詞交歓会で参加者達が交流を深めていた。
2015年1月15日 AM 4:55