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『津城復元の会』=西田久光会長=は設立1周年記念事業として、3月8日㈰13時より、津リージョンプラザお城ホールで『津城復元資金造成和太鼓ライブ 一打伝心~安濃津奏鼓』を開催。津・高虎太鼓(本隊、津青年会議所津・高虎太鼓、津・高虎太鼓華乃津会)と美里龍神太鼓、津商工会議所青年部元気玉太鼓の3団体5チームが協賛出演し、津城復興という大きな目標に向かって、力を一つにして熱い演奏を繰り広げる。
同会は、築城の名手として知られる津藩祖・藤堂高虎公の居城で、津市が誇る歴史的財産である津城の復元を目的に昨年3月設立。「NHK大河ドラマ『藤堂高虎』を誘致する会」「藤堂藩五日会」「ときめき高虎会」「津市議会お城を活かしたまちづくり推進議員連盟」「津・お城の会」が共同で活動する任意団体。
同会が当面の目標として掲げるのは津城北面部分の復元。総工費は約6億円。これまで、毎月の松菱を始め、市内のイベント会場や東京の三重テラスで募金を実施。趣旨に賛同した企業・団体にも募金箱を寄託している。
そして、この復元運動のもう一つの柱が、津市のふるさと納税制度「ふるさと津かがやき寄附」の使途項目「津城跡の整備」(この項目宛への寄附が全額復元資金として積み立てられていく)の利用呼びかけだ。 その成果もあり、約1年前に新規項目として追加されてからこれまでで236件約1038万円もの寄付が集まった。募金の方も、65件(推定3287人)約107万円。計3500人以上から1100万円以上の寄附が集まっている。
順調な滑り出しと言えるが、復元の実現には更なる市民の協力が不可欠なため、同会では復元運動のアピールと資金造成を兼ねたイベントを企画。そこで西田会長が旧知の仲で、優れた和太鼓奏者で指導者としても知られる津・高虎太鼓の水谷忍さん=津市稲葉町=に協力を要請したところ快諾。水谷さんの呼びかけで津高虎太鼓(本隊、津青年会議所津・高虎太鼓、津・高虎太鼓華乃津会)、美里龍神太鼓、津商工会議所青年部元気玉太鼓の協賛出演が決定し、3団体5チームによる和太鼓ライブが実現した。
ライブの内容は、オープニング、第1部「津城物語」~中世安濃津から城下町津へ~と第2部「一打伝心」~継承から未来へ、で構成。「津城物語」は、安濃津から織田信包の津城築城、冨田信高時代の津城籠城戦、高虎公による藩政の立て直しなど、中世から近世の津の歴史をナレーションと和太鼓演奏で綴る。「一打伝心」では、それぞれが得意曲を演奏する。
今回ステージに上がる、津・高虎太鼓の小1~高校3年の約60名による少年隊も津市河芸庁舎の郷土芸能練習場で毎週日曜日に水谷さんらの指導を受けながら熱の入った練習を続けている。第1部で高虎公や津城に因む曲を演奏する予定。
西田会長は「津に素晴らしい城があったことを知らない方も多いので、PR活動は非常に重要。古図面にも記されているが、津城には太鼓櫓があり、そのおかげか協賛出演チームとの縁ができ非常にありがたい」、水谷さんも「復元された津城を中心に地域のイベントが開かれるようになってほしい」と大きな目標に向けて心を一つにする。
全自由席、前売り1000円、当日1500円。収益金は当日の会場募金と合わせて、「ふるさと津かがやき寄附」の「津城跡の整備」に寄附する。
問い合わせ☎090・3933・6061(西田)または☎090・8869・7528(小菅)へ。
2015年2月19日 AM 5:00
津市久居のご出身で我々が誇りと思う、農業土木の偉人、権威者、故・上野英三郎農業博士(東京帝国大学教授・現東大)と忠犬ハチ公との「対」の銅像(日本及び世界で唯一)が久居駅東口に建立除幕されたのが平成24年10月20日。早くも2年半の歳月が流れ、三重、津久居の新名所として脚光を浴び、全国に広く発信し、地域は大いに盛り上がっております。
更には久居駅ビル、ポルタに津市役所久居総合支所が、この一月より移転し賑わいを呈しております。また、嬉しいことに「対」の銅像建立の動きは久居一基にとどまりません。
本年3月8日はハチ公没後80年になり、それを記念して、東京大学構内に上野博士と忠犬ハチ公の「対」の銅像が建立される事が既に東大の先生の口から発表されており、更に新聞紙上にて大きく報道され、東大のもう一つのハチ公の物語として、3月8日祥月命日の除幕式が目の前に迫っております。
このような状況下、冒頭の見出しの通り、「粋で通な方の悪戯?」と記述しましたが、何方かが帽子を被せて戴いたのでしょうか?
久居東口、緑の風公園入口に建立の上野博士の像は無帽です。しかし、この構図は静止像なるがゆえに動きが見えないものの、上野博士が列車から降りてきて手を伸ばすとハチ公が主人たる博士に飛びつき、抱きつき、ちぎれんばかりに、尻尾を振っているものであろうことが容易に想像ができます。
久居の銅像が「静」であるのに対して、東大の試作像は「動」です。
ハチ公と上野博士の「対」の銅像の第二弾の考えは間然するところなく、関係者に深く敬意を表すとともに、今春3月8日の祥月命日に行われる除幕式での公開を鶴首の思いで待つものであります。
この度の東大のモデル(模型)は帽子を被っている構図です。そこら辺をこの(悪戯された)方は斟酌下さったのでしょうか。久居の方でも着帽の話もあり、銅像制作者の稲垣克次氏、(彫刻家・日展評議員、審査員、鈴鹿市在住)からもそのような模型の提供がありましたが、当時帽子を余り被っていなかったのではないか…との異論も出て結果的に無帽でと言う事になった経緯もありました。
しかし、本家本元の東大の方は着帽の銅像になっており、中々格好いいですネ。又、風雨の時、顔面の汚れやらを防ぎ養生の為にも良いのでしょう。東大の銅像の制作は名古屋在住の彫刻家、植田務氏が手掛けられております。久居制作時、時代考証がいささか研究不足ではなかったかと思っております。
今後このような第三弾、第四弾の「対」の銅像の建立が新たな創意のもと日本や外国の関係の場所に建立されんことを希望してやみません。
さて、「忠犬ハチ公物語」は、読者の皆さんには既に十分ご承知のここと思いますが、ここで敢えて今一度、ハチ公と博士との心温まる絆をごく簡単に回顧し、改めて博士の遺徳を偲び、ハチ公の生涯を辿りたいと存じます。
ハチ公は、生粋の秋田犬です。秋田県大館町(昭和26年市制施行)で大正12年(西暦1923年)に生を享けました。生後50日余りで、米俵に包まれ国鉄(現JR)の小荷物扱いで東京に運ばれました。仔犬であったハチ公にとっては長い長い旅。大正13年(西暦1924年)の一月のことでした。貰われて行った先は東京帝国大学教授上野英三郎博士です。
博士はご存知のように、ここ久居の本村甲(現元町)のご出身です。犬好きの博士は自分のベッドの下でハチを寝かせるほど、可愛がりました。ハチもその愛情に応えて、朝には大学に出講する博士を渋谷駅まで送り、夕方には再び渋谷駅で博士を迎えました。残念ながらその主従の生活は長くは続きませんでした。
ハチが博士の家に来てから僅かに17カ月の時、博士は大学での講義中突然に倒れられ、不帰の人となってしまわれました。
しかし、そのことが理解出来なかった、否、理解を拒んだハチは、その後もそれまで通り朝な夕なに渋谷駅に通い、改札口から出てくる大勢の乗客の中に博士の姿を求め続けたのです。「犬は三日飼えば…」といいますが、ハチにとっては博士と共に暮らした17カ月の経験と記憶は何ものにも代え難い宝であったのです。その忠誠心が徐々に人々の心を捉え新聞にも掲載されるようになり、遂には小学校修身の教科書が採り上げるところとなり、教育の一環を担うに至りました。
その感動的な物語の中心がハチ公であり、そのハチ公の飼主がここ久居出身の上野博士であること、そして、地元の久居の地にハチ公と博士の「対」の銅像が初めて建立できたことを、心から喜ぶものです。
繰り返すことをお許し下さい。久居のものが「対」の銅像第一号であり、そのことを秘かに誇りに思っている今日この頃です。
住んでいる人が誇れるまち《津久居》に。
(津市久居新町在住。上野英三郎博士とハチ公の銅像を建てる会・元代表。津商工会議所常議員)
2015年2月19日 AM 4:57
21世紀のエネルギーを考える会・みえは3月16日(月)13時半~15時(受付13時~)、津駅北隣りのホテルグリーンパーク津6階で地区別講演会・津を開く。後援=三重県商工会議所連合会、三重県商工会連合会、三重県中小企業団体中央会、三重県経営者協会、津商工会議所、津北商工会、津市商工会。
講師は中部大学教授の細川昌彦氏。演題は『エネルギー論議の最前線』。
細川氏は77年、東京大学法学部卒後、通産省に入局し、83年 「東京国際映画祭」を企画立案する。
また、同年、海外先物取引の悪徳業者を摘発。85年~87年は山形県警本部警務部長として、警察への出向第一号として2300人の組織マネジメントに取り組む。98年・通商政策局米州課長、01年・スタンフォード大学客員研究員、02年・貿易経済協力局貿易管理部長。03年の中部経済産業局長時代は「グレーター・ナゴヤ」を提唱。09年、中部大学教授に着任。教鞭を執る傍ら自治体や企業の顧問などを務める。「Nスタ」「激論!コロシアム」など、TVのコメンテイター、講演活動も行う。
参加希望者は氏名、住所、電話番号を記入の上、FAX059・229・3790。または、〒514─0004、津市栄町3丁目248番地、きりんセカンドビル302号、同会へ郵送。同会のホームページからも申し込みができる(「21世紀のエネルギーを考える会・みえ」で検索)。
締切り3月5日(木)必着。
2015年2月19日 AM 4:56