無残な姿になった御殿場海岸の松林

無残な姿になった御殿場海岸の松林

 国道23号から、津競艇の脇を抜けて御殿場海岸へ。静まり返った浜茶屋の前を走る堤防道路を北進していく。潮干狩りや海水浴のシーズンには県外からも大勢の観光客が訪れるだけに一抹の寂しさは拭えないが、オフシーズンがあるからこそ、特別なひと時が味わえるのだ。
 やがて、御殿場海岸の代名詞「白砂青松」の由来となった松林が見えてくるが往時の姿はもうない。場所によっては、まばらに松が生えているだけの無残な状態になっている。その原因はカミキリムシが媒介するマツノザイセンチュウ(マツクイムシ)が引き起こす「マツ材線虫病」だ。この病に感染した木はあっという間に立ち枯れしてしまうだけでなく、その木に産み付けられたカミキリムシの卵が孵り、成虫が周囲の木に飛び移りながら、病を拡散していく。当然、松林再生に向けた動きもある。一朝一夕にはいかないが、美しい松林が蘇るその日の訪れを信じて疑わない。
 そこからまっすぐ、堤防道路を進み津ヨットハーバー。近鉄道路に出てからは津港新堀、津なぎさまち

我が社へ到着

我が社へ到着

と順に巡っていく。ここまでの道程を含めて、津がその名の通り港町なのだということを改めて意識をする。明応地震による津波で崩壊して以来、物流港としての機能は失われてしまったが今は中部国際空港へのアクセス港という稀有な役割を有している。海外から観光客を誘致するインバウンドに注目が集まる中、潜在能力をどう開花させていくかが津市の将来に大きく係わることとなるだろう。
 その後、なぎさまちからフェニックス通りを西進。途中にある我が社に立ち寄って少し休憩を取る。一息ついたところで、M君に津城復元の募金への協力を求めると快諾してくれた。
 そして、会社から更にフェニックス通りを西へ進み国道23号を横断。津城跡の高虎公の銅像の前で、M君に難攻不落の要塞でありながら、太平の世でも政庁として優れた機能性を持っていた津城の魅力を簡単に説明。夕暮れも近づいてきたので、この日はここでフィニッシュ。
 1年以上続いたこの自転車旅も、ようやく中心市街地へと到着。予定している行程も残すところわずか。次の

津城跡の藤堂高虎公像前にて…

津城跡の藤堂高虎公像前にて…

出発日が恐らく最後になりそうだ。コースの吟味をしっかりとしよう。(本紙報道部長・麻生純矢)