「八紘一宇」というのは、『日本書紀』において、初代神武天皇が即位の折りに「掩八紘而爲宇」(あまのしたおおひていえとなさむ)とおっしゃったことに由来する言葉です。
 すなわち、2675年前の2月11日に、神武天皇が我が国の建国宣言の理念を、この「八紘一宇」に込められたということなのです。
 『人類が一家族のように睦み合っていける世界を創造しよう』という、壮大な神の愛をこの世に実現するための光の言葉です。
 一宇、即ち一家の秩序は一番強い家長が弱い家族を搾取するのではなく、一番強いものが弱いもののために働いてやる制度が家なのではないでしょうか。
 新約聖書のマルコ伝でイエスは、こう言っています。
 「あなたがたの知っているとおり、異邦人の支配者と見られている人々は、その民を治め、また偉い人たちは、その民の上に権力をふるっている。
 しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。
 かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、すべての人の僕とならねばならない。
 人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」
 まさに、我が国の家長である天皇は、国民を支配して搾取する王ではなく、神の国をこの地上に興そうと願った天照大神、それを八紘一宇という理念で建国宣言した初代天皇神武の祈りを受け継ぐ大祭司なのです。
 現在までの国際秩序は弱肉強食であり、狩猟民族のメンタリティーが支配する世界が続いてきました。強い国が弱い国を搾取する。力によって無理を通す。目的を達成したものが正義。強い国が弱い民族をしいたげています。
 支配し、搾取し、自分だけが良ければそれでいいという世界をつくってきました。
 それが「うしはく」、力によって支配する世界だとヤマトの神話には書かれています。
 しかし、日本は天壌無窮の神勅によりアマテラスから、もしも戦うことがあっても、滅ぼしたり支配してはならない、大きな和をもって統治する「しらす」国になるようにと命じられています。
 世界中で一番強い国が、弱い国、弱い民族のために働いてやる制度が出来た時、初めて世界は平和になるのでしょう。
 その願いが込められた「八紘一宇」こそ、世界の希望であり、日本が世界の灯明台となる意義なのです。
 だからこそ大東亜戦争の終結の際に昭和天皇は終戦の詔(みことのり)の中で、「日本のみならず、世界のためにもよろしくないことだからこの戦争を終わらせようと思う」と仰っておられるのです。
 そして、ご自身の命はどうなっても構わないから国民を救ってくれないかと単身GHQに乗りこみ、マッカーサーに訴えたのです。
 クリスチャンであったマッカーサーは、「まさに神のごとき帝王を見た」と、天皇にキリストを見て驚き、「天皇とはこのような方だったのですか、私も日本に生まれたかった」とまで言ったといいます。
 教育勅語にせよ、八紘一宇にしても何も分からずにただ反対ばかりする輩が大声で叫ぶ。
 いったいあなたはどこの国の人なのですか?
 教育勅語は、軍国主義に染まった悪いものなのだと私に言った人がたくさんいます。
 ところが、その人たちの誰一人として教育勅語を読んだ人はありませんでした。読んでみたら、これほどまでに美しい日本語は見たことも聞いたこともないほどでした。
 内容は、歴史を貫いて正しく、世界中どこの国に持っていっても通用する、人としての道でありました。
 第二次世界大戦後、ドイツはドイツ語訳した教育勅語を国の復興の礎とし、米国も乱れた風紀をなおすためにレーガン大統領が英訳した教育勅語による道徳教育で国を立て直しています。
 ただ日本だけが、何も知らされず教育勅語をばかにします。今、ヤマトの人々が八紘一宇の意味も知らぬ政治家の言葉や、新聞などの言うことを鵜呑みにして流されてゆきます。
 民族の歴史を失った民族は、必ず滅びる…と、ユダヤの友は私に言いました。
原点回帰です。
 日本こそ世界の希望なのだから。(赤塚建設㈱社長)