2015年3月

 今年に入ってから、冷えのご相談が増えています。身体の冷え方も例年の冬とは異なり、かなり厳しいようで、時には深刻なご相談もあります。
 身体が冷えるとどのようになるかを考えてみたいと思います。
 まず、皮膚が冷えると風邪やインフルエンザになります。心臓が冷えると狭心症や心筋梗塞なども起こすでしょう。肺が冷えると、激しい咳が出たり、喘息、花粉症、肺炎になったりします。
 胃が冷えると、むかつき、食欲不振、胃痛、胃もたれなどになるでしょう。腸が冷えると下痢、腹痛、アレルギー(花粉症、喘息、アトピー、食物アレルギー、化学物質過敏症)などを起こす可能性があります。
 さらに肝が冷えると、疲れやすくなったり、筋肉がこわばって肩こり、腰痛、痔などが出てくるでしょう。
 そして腎が冷えると、尿が近くなり、耳が遠くなり、骨が弱り、髪が白くなり、精力も減退し、白内障が進むなどの症状が出ます。つまり、老化が進むということです。
 ちなみに癌も冷えと関係があると思います。色々な病気と冷えが関係あることを理解して、より真剣に冷えを治そうという気持ちになって頂けるとありがたいですね。

14日(土)・15日(日)、津市島崎町のサンワーク津1階研修室で三重東洋蘭愛好会主催の「第37回春蘭展」が開催される。入場無料。時間は14日が11時~17時、15日は9時~16時。
 会員自慢のコレクションから約100種150鉢を展示。即売もあり。
 問い合わせは事務局の村林さん☎080・2668・0592へ。

 その日、昭和20年6月26日、アメリカ陸軍航空隊、第21爆撃兵団、第314爆撃航空団所属のボーイングB─29スーパーフォートレス爆撃機35機が太平洋上のグアム島北飛行場を次々に発進した。岐阜市の川崎航空機岐阜工場及び三重県津市内の軍需工場を爆撃せよという命令を受けていた。 そのうち4機のB─29が津市内の軍需工場群を第1攻撃目標として空爆することになっていた。
 B─29群は離陸後、1500~3000メートルの高度をとった。途中、B─29はそれぞれ2機の3グループに分かれ、硫黄島から発進した第7戦闘機コマンドに所属するジョン W.ミッチェル大佐が率いる第15戦闘機大隊のノースアメリカンP─51ムスタングD─NA型戦闘機群と合流した。
 硫黄島を発進した時間は午前5時54分。41機が発進した。P─51戦闘機群はB─29に先導されて日本本土に向かった。空爆するB─29の護衛がP─51の主任務である。硫黄島から日本本土までおよそ1200キロメートルである。
 大阪府の伊丹飛行場を基地にする陸軍第56戦隊、戦隊長古川治良少佐に「第一波、舞鶴地区、第二波大阪地区共ニ波切志摩半島付近ヨリ伊賀上野名張付近ヲ経テ続々侵入其の数、第一次三五〇、第二次一〇〇機ヲ下ラズ、其ノ第一次P─51ノ援護下ニ北上セリ、全力出撃スベシ」の命令が下った。
 津市白山町二本木。この日は晴れ。蒸し暑い日だった。あちこちの水田は稲で青々としていた。ほどなく上空を2機の日本軍戦闘機が旋回しだした。地区の人々は、いつもとは違う旋回を見て、「きょうは、空中戦でもあるのでは」と機影を追っていた。頭上をB─29の編隊が次々と名張方面に飛行していく。56戦隊に所属する陸軍3式戦闘機「飛燕」2型改、銀色の機体の胴体に赤い日の丸が見えた。一機は中川裕少尉分隊長(特操一期、同志社大学卒、広島県大竹市玖波町出身)が操縦、もう一機は僚機だった。
 中川少尉は攻撃時を見計るやいなや、一気にB─29の編隊の真正面めがけて突っ込んでいった。この時9時14分。ここに編隊を率いるパーカー機長の目撃談がある。
 「視認できると遠くのところに日本軍戦闘機があり、真正面から頭上攻撃を開始した。その日本軍機が段々と接近してくるやいなや、この日本軍機を撃ち落とそうと編隊のB─29が機銃を一斉に掃射し続けた。絶え間なく。
 我がB─29は12・7ミリ機銃の発射音と反動で振動していた。それでも日本軍戦闘機はわが機をめがけて接近してくる。この日本軍機は夥しい機銃弾の弾幕にもかかわらず、何故、この日本軍機は撃墜されないのか。墜ちない。我がB─29の機首をめがけてまっすぐに機銃弾を押し分けて突進してくる。これで我がB─29は一巻の終わりだ。
 人生が終わるとはこういう事なのだ。私は私と搭乗員の生命を奪う衝突に覚悟を決めた。しかし奇跡中の奇跡、その戦闘機は我がB─29に衝突せず、ものすごい勢いで通過していった。
 しかし安堵も束の間、中央射撃コントロールの射撃手が叫んだ、『なんてことだ。コーダス機をやったぞ』。その日本軍機はわが機の右翼上をかすめ、ベンジャミン・コーダス機長のB─29の左翼外側エンジンに体当たりをした。わが機の右側機関銃手は、体当たり直後に墜落していくコーダス機の写真撮影を抜かりなくした」。
 コーダス機はこの体当たりで左主翼の外側エンジンの左側部分からもげ取られ、機体は火炎を吐きながら、近鉄大阪線の「東青山駅」近くの惣谷池付近に墜落した。中川機は二本木の延寿寺を北に見て左右2キロメートルの円内にバラバラになって落下した。
 中川少尉は体当たりの瞬間機外に放り出されたが、機体に取り付けてあった落下傘のえいさく環により自動的に落下傘は開いた。中川少尉のパラシュートは東の伊勢湾方向へと風に流された。B─29は惣谷付近に墜落した。ベンジャミン・コーダスは第314爆撃航空団、第19爆撃航空郡、第28爆撃飛行隊の所属機で機体番号44─69873である。
 中川少尉が体当たりする瞬間を見た、同戦隊の浜田芳雄少尉は茫然自失となっていたとき、P─51に奇襲されてエンジンに被弾して「飛燕」は火炎を発した。風防を開き機体を上下逆さまにして、機外に脱出しパラシュートで降下した。その地点は青山トンネル付近である。少尉は火傷をおったものの、翌日、戦隊基地に帰還した。浜田少尉機を撃墜したのは、第45戦闘機中隊のP─51のパイロット、ダグラス・リース少尉である。
 中川少尉のパラシュートが流されている様子を見ていた、津市久居にある陸軍歩兵33連隊の石川清詩騎兵中尉は連隊上空を旋回しているP─51が飛び去るのを見届けて、部下を率いて馬にまたがりパラシュートを追った。住民から久居の元町にある「真光寺の松の木に降下した」と聞きつけた。真光寺に向かった。
 そこで馬から下りて、木の下に莚を敷き、軍刀でパラシュートの紐を切った。中川少尉はすでにこと切れていた。中川裕少尉、享年24。遺体の状況は凄惨を極めた。片足が無く、顔が半分焼けただれ、体の半分くらいしかパラシュートに付いていなかった。
 白山町大三の人々は「飛燕」の墜落現場から肉片を集めて火葬にし、隣保館でお通夜を営んだ。56戦隊でもその後、葬儀が執り行われた。古川戦隊長の手帳に中川少尉について「技量優秀」と特記されている。
     (次号に続く)

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