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3月27日、三重大学で津藩校有造館の第3代督学である漢学者・斎藤拙堂(1797~1865)が晩年を過ごした山荘の跡地(津市鳥居町)に建てられていた「拙堂先生山荘遺址」碑の移設除幕式があった。
有造館で拙堂は数多くの優秀な人材を育てた後、63歳で引退。以降は山荘「栖碧山房」を建て退隠していたが、そこには毎日のように学者や文人が訪れ、自由に学問や時局を語り合ったという。その死後、山荘は取り壊され、鉄道の線路が敷かれたため昭和初期に、今回移設された碑は建てられた。
しかし、人が入りづらい地形に建っているため草刈りなどの管理が難しく、時代の流れと共に、この碑の存在も忘れ去れていった。
内田淳正学長が6年前の学長就任当初、電車通勤をする際に車窓から、三重大学鳥居住宅のすぐ隣の線路際に放置されているこの碑を発見。後に、拙堂の山荘の跡地を示す碑と分かったが、草に覆われた姿を見かね、昨年8月に土地の所有者に移設する許可を求めたところ快諾。津市と三重県に移設場所の提供を呼びかけたが適当な場所が見つからなかったので、今年初めに大学構内に移設することを決断。3月中旬に工事が進められ、晴れて移設除幕式を迎えたという流れ。
式には内田学長を始め、拙堂の直系の子孫である斉藤正和さん、津市の石川博之教育長、土地の所有者や前田剛志県議と今井智広県議らが出席。内田学長は「良い碑を三重大に移すことが出来た。斎藤先生の遺徳をしのんで頂いて、新しい試みの議論をする際の支えになってほしい」と挨拶。除幕後、姿を現した高さ約3にも及ぶ立派な碑の姿を見て、出席者たちは喜んでいた。
2015年6月19日 PM 6:24