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津市健康福祉部福祉政策課が日本赤十字社の津市地区=地区長・前葉泰幸市長=の担当窓口として毎年、6月末頃までを目処に市内の自治会を対象に行う寄付募集の際、自治会に提示する「世帯あたりの寄付目標額」が、寄付の「目安額」として今年度から全市統一された。今年度は350円。
日赤は、都道府県や市町村にある支部や地区・分区を通じ、自治会から寄付を募集している。津市地区での昨年度までの募集の流れは、まず日赤県支部が、市内の世帯数などから算出した津市地区の寄付目標額を同課に提示。次に同課が、この津市地区の目標額と、市内10地域別の世帯数などから各地域の目標額を計算し、各総合支所に提示。そして、各支所が独自裁量で世帯あたりの目標額を提示するなどして、自治会から寄付を募るというもの。
昨年、本紙が同課と各支所に26年度の募集方法を取材したところ、世帯あたりの目標額は8地域で設定され、最低で津の356円、最高で久居などの500円と大きな差があり、自治会間で不公平が生じていた。 この最大の原因は、平成18年の合併時に、統一に向け協議されなかったこと。本紙がこの問題を昨年7月17日に報じたところ、直後に同課と各支所が統一に向け検討を開始。
今年度から「日赤県支部が提示する津市地区の寄付目標額(27年度は3千9百48万7千円)を、市内の世帯数(27年度は昨年10月時点の県統計による11万5千2百33世帯)で割り、端数を処理」という式で全紙統一の目安額を算出し、提示している。
2015年6月4日 AM 4:55
5月20日~24日、津市大谷町の三重県立美術館県民ギャラリーで、古金谷初美さん=60・津市野田=による個展『古金谷初美日本画展 退職を記念して』が開催された。主催=彩潮会。
古金谷さんは三重大学を卒業後、教員としてのキャリアをスタート。昭和53年に故・橋本綵可氏に師事し彩潮会へ入会。その後、同氏の逝去に伴い、橋本心泉氏に師事。国内外の公募展での入賞・入選も多数。今年3月に津市立一身田小学校の校長として退職を迎えた。現在は敬和公民館長。
退職という人生の大きな節目を記念して開催された今展。出展作の50点は教師としてだけでなく、母親としても多忙な日々を送る中で、家族の支えもあり、長年続けてこられた創作活動の賜物。題材も、勤務先の学校や出勤時に見かけた風景、一緒に暮らす猫や家族など、なにげない日常を描いた作品が中心。精密な筆致と美しい色づかいによる巧みな表現で、来場者たちの目を楽しませていた。
古金谷さんは「絵を描くことが教師生活を続ける上でリフレッシュになった。会の仲間がいたから絵を続けてこられた」と語った。
2015年6月4日 AM 4:55
ある暑い夏の昼下がり、車を走らせていた時、アスファルトの歩道に座り込んでいるご老人が目に入ってきました。気になって自動車を止め、「大丈夫ですか」と声を掛けました。ご老人は買い物でいっぱいのレジ袋をそばに置き、首からカバンを掛けていました。
返ってきた返事がどうにも弱弱しい。「家はどこです。おくりますよ」。「そうか、世話を掛けるな」。「どうぞ乗ってください」。老人に道案内をしてもらって、玄関先まで送り届けました。ご老人は「ありがとう、助かりました」とお礼の言葉を言われました。
あの夏の日、あのままだったら、どうなっていたことだろう。焼け付いたアスファルトの上は、気温がとても高い。熱中症にでもなれば命にかかわる。
それにしても、買い物をしてくれる家族はいなかったのだろうか。
そして、去年の夏の日の午後、家人が「ついさっき、見知らぬおばあさんが前の道をフラフラと歩いていった」という。これはただ事ではない。すぐにその老婦人を走って追いました。やっと追いついたのですが、手には途中で摘んだのか野の花、それと転んでできたのか、手の甲にかすり傷ができ血が滲んでいました。「何処へ行くの?」と声を掛けると、「家に帰るの」と海岸堤防の方を指差すのです。
「あっちは海で、家なんかあらへん」と言っても海の方を指差し、「家に帰る」と言うばかり。「何処から来たん?」と問うたものの、意味不明のことを繰り返します。「名前はなんていうの?」…返事がありません。
そこでピンと来ました。認知症の「これは徘徊ではないか」。携帯で警察に電話をして、事情を説明しました。15分くらいでパトカーが到着し、警察官が老婦人をパトカーに乗せて、なにやら無線で交信していると、老人介護施設から抜け出し、捜索願が出ていることが判ったのです。あとは警察官に任せ、その場を離れました。
今年の4月の雨降りの日でした。スーパーで買い物を終えて帰宅中に雨の中を傘もささずに道路をとぼとぼと歩いている少し変なご老人が目に入ってきました。そのまま一度は通り過ぎたものの、気になってしまい、車を止めてそのご老人を探しました。見つからない…あちこち探し、やっと見つけ、「どこかの家を探しているのですか?」…「自動車が…」。「どこから来たのですか?」…返事がありません。「どこへゆくんですか?」…「家」。「あなた今津市にいるんですよ」…「ええっ、四日市とちがうの」…「いえ、津市です」。目がうつろ。ここまでのやり取りで私は判断しました。警察を呼ぶしかありません。
雨の中、傘をさしながら、携帯で110番。10分位でパトカーが来ました。眼光人を射る警官2名に事情を説明すると、警官はご老人をパトカーに乗せました。これで一安心。大正13年生まれの人であることが判りました。一昨日から家に帰っていないらしい。家族はどんなにか心配していたことだろう。
あとは警察官に任せて、その場を離れました。歳格好からゆくと私の父の年代の人。早く父を亡くした私にはその老人が亡き父と重なって見えました。「父が健在ならば、このような老人なのだろう」と。人事ではなかった。日ごろから私は車を運転しながら、様子がおかしい老人には車を止めて、「大丈夫ですか?」と声をかけるようにしている。
川柳「お父さん 家に帰ろう さがしたよ」。
(津市在住。英語、英会話講師)
2015年6月4日 AM 4:55