津市芸濃町椋本の椋本神社で3年に1度、奉納される津市無形民俗文化財「椋本獅子舞」を受け継ぐ人々の姿を捉えたドキュメント映画『獅子が舞う 人が集う』が完成。獅子頭誕生の秘話を著した歌人・春日井建の詩を短歌絶叫の福島泰樹さんが猛々しく読み上げ、東日本大震災被災地の子供たちを記録した青池憲司監督と一之瀬正史カメラマンによる美麗な映像で郷土芸能の〝本質〟を示している。21日に上映会とシンポジウムもある。

 

江戸時代後期より伝わる「椋本獅子舞」は、3年に一度、正月に椋本神社で奉納されている津市無形民俗文化財。獅子が舞うことで土地の悪霊を払い、地域の人々に安らぎを与え続けてきた。獅子頭は地域のシンボルともいえる国の天然記念物・椋本の大椋(樹齢1500年以上)が明治3年の暴風雨に見舞われた際に折れた巨枝より削り出したもの。まさに地域の産土神(土地の守り神)の化身と呼ぶにふさわしい存在だ。
現在は、昭和42年に設立した椋本獅子舞保存会(同地区内の自治会役員たち)が口伝で受け継いだ舞や笛や太鼓の指導を行い、後継者を育てている。獅子舞を奉納するのは、連中と呼ばれる40歳以下の地区の若者と口取りを務める小学生だが、流れゆく時の中で徐々に獅子舞に係わる者が減少。最低限必要な12人を確保するのも困難な状況に。
今回、完成したドキュメント映画「獅子が舞う 人が集う」制作の中心人物は同地区出身の文筆家・伊藤裕作さん(65)。伊藤さんは東京を拠点に長年、活躍してきたが5年ほど前より、月の半分ほど帰郷し、東京の劇団の芝居を津市で上演する生活をしている。そんな中で、中学時代の後輩で、連中のリーダー・駒田知也さんの父親である仁志さん(64)より、獅子舞が存続の危機であることを聞き、ふるさとへの恩返しとして映画制作を決意。伊藤さんと仁志さんの他、芸濃地区社会福祉協議会やまちづくり協議会で活躍する紀太功さん、津市商工会芸濃支部長の濱野章さんを加え、昨年6月に「芸濃町の獅子舞を記録する会」を設立。映画の制作に入った。
撮影は東日本大震災以降の石巻市の小学校の子供たちの記録映画で知られる映画監督の青池憲司さんとカメラマンの一之瀬正史さんが担当。厳寒の中で練習を懸命に練習を重ねる姿や、今年の正月の早朝より奉納された本番の様子を卓越したカメラワークでとらえている。更に、短歌絶叫の福島泰樹さんが、歌人・春日井建が獅子頭の誕生秘話を描いた詩「獅子」を朗読。詩は産土神の化身である獅子頭は枝を削り出してつくったのではなく、元から枝の中に宿っていたのだと雄弁に語りかける。獅子が舞う美麗な映像と、福島さんの猛々しい絶叫や姿が交わることで、その物語があたかも現実のように浮かび上がってくる。
それら素晴らしい演出が織りなすこの映画は、単なる〝記録〟とは一線を画した郷土の〝記憶〟を伝える異色作に仕上がっている。これから、獅子舞を次代へと受け継ぐ中での新たな道標となるだけでなく、自然災害に見舞われた際などに発揮される地域の絆の根源を具現化する郷土芸能の本質を再認識できる。
価格は1080円。DVDは芸濃地区社会福祉協議会、椋椋マルシェ、ぜにや呉服店で販売中。電話での申し込みは駒田製瓦所☎059・265・2056。
記念上映会は、21日13時~(開場12時半)、芸濃総合文化センター市民ホールで開催。上映会の後、パネラーに伊藤さんと、監督の青池さん、産土神や郷土芸能への造詣が深い野外劇場・水族館劇場座長の桃山邑さんを迎え「椋本獅子舞と郷土の伝統芸能」のシンポジウムを開催。入場無料。

みえ食文化研究会は6月28日(日)13時~14時半、津市大谷町の学校法人大川学園5階ホールで平成27年度食文化講演会を開く。講師は同学園理事長で、同研究会運営委員長の大川吉祟さん。演題は「三重県における人の一生と食事」。
大川さんは高野山で7年間の半僧半俗生活で仏教学を学び、三重高等学校で日本史担当教員を4年間務めたのちに大川学園に移籍。専門の民俗学分野では三重県下の大正時代から昭和10年までの食生活調査を続けている。
趣味は高校・大学時代からの登山、自身のブログの絵もそうだが、水彩での山姿スケッチ、そして園児と遊ぶマジック。郷土模索も趣味で、著書に「三重県の食生活と食文化」「大台ヶ原山 知られざる謎」「鈴鹿山系の伝統と歴史」がある。日本民族学会、日本調理科学会、日本環境教育学会加入。
今回の講演会は、大川さんの新著「(続)三重の味千彩万彩」の発刊を記念して開くもの。同著書の中では郷土料理を、「年中行事食」「人生儀礼食」「日常食」に分類して編集されており、その中の人生儀礼食を理解する上において重要な人の一生の節目節目を、民俗学的な背景を解説しながら、必然的に習慣化されている様々な食について、長年の地域における聞き取り調査をもとに講演する。
入場無料。定員100名になり次第締切り。会員以外でも参加可能。
申し込みは同研究会事務局(大川学園内)に電話☎津226・3131、FAX津226・3135。メール、chori@ohkawa-gakuen.ac.jpで。
「食文化講演会申込み」であることと、氏名・住所・☎を連絡すること。当日は公共交通機関の利用を。

小川さん挨拶 三重テレビ放送=津市渋見町=の『ハンセン病に対する差別解消にむけた報道』が、NPO法人放送批評懇談会が優秀な番組・個人・団体を顕彰する「第52回ギャラクシー賞」の報道活動部門で見事、優秀賞に輝いた。同局のギャラクシー賞受賞は今回が初。
ハンセン病は「らい菌」による感染症で、症状は末梢神経の麻痺や皮膚のただれなど。現在では治療方法が確立している。しかし、昔は、顔や手足の変形など外見からわかる後遺症が残る場合があったことや、「遺伝病」「伝染性が強い」と誤解されていたことなどから、患者やその家族が偏見・差別を受けた。そして日本では、1900年代から国の隔離政策により患者が各地のハンセン病療養所に強制的に収容され、偏見や差別が一層助長された。
隔離政策が終了した今も、療養所の入所者の多くは、治癒しているが、社会に残る偏見や自身の高齢などの理由で、退所や故郷で暮らすことができないという現状がある。
一方、同局では、2001年にハンセン病国家賠償請求訴訟で原告勝訴の熊本地裁判決が出されたのを機に、今回の報道を企画。小川秀幸報道制作局長(49)らが丹念な取材を行い、01年~14年にドキュメンタリー番組5本と、ニュース番組内の特集を放送した。
これらの番組では、隔離収容に携わっていた元県庁職員が、岡山県の療養所で暮らす三重出身の元患者と交流し絆を結ぶ姿を報じ、人間としての在り方を問いかけた。また戦争中、〝国の役に立つか立たないか〟という一面で人間の価値が判断されていた時代に患者の隔離収容が進んだ歴史を振り返り、現代でも経済活動などで効率のみを優先した場合に起りうる弱者排除の風潮に警鐘を鳴らした。
さらに、三重県が各地の療養所で暮らす人を対象に年1回実施している「里帰り事業」で、参加者の多くが、故郷そのものには帰ることができず観光地巡りが中心という現状を克明に伝え、その原因である偏見がない社会をと訴えた。
小川さんは、「この受賞をきっかけに、皆さんに、現在も三重県出身の53人が全国の療養所で暮らしていることや、ハンセン病への差別・偏見が残っていること、差別を受けるのはおかしいということをまず知ってもらいたい」と話している。

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