◆第2回伊勢志摩俳句サミット 10月2日(金)11時~15時(13時締切り)、伊勢志摩の賢島「宝生苑」にて。NPO俳句みえの主催。協力=三重県ホトトギス会。誰でも自由に参加できる吟行会。吟行は「伊勢志摩の秋の潮」「秋の海」「伊勢海老」など。会費は昼食付2500円。締め切りは9月25日(金)必着。問い合わせ・申し込みはは☎080・4304・8060光野さん。
◆《笑いヨガ》体験会
9月5日(土)10時~11時半、アスト津3階おしごと広場にて。三重ラフター(笑い)ヨガクラブの主催。テレビで注目されている笑って健康に、カンタンに免疫力をアップ、ストレス解消できる笑いヨガ。参加費500円(未成年無料)。加藤さん☎059・230・4077。
◆第21回弦楽演奏会(第45回合同演奏会) 8月23日(日)13時から(開場12時半)、三重県総合文化センター中ホールにて。入場無料。要整理券。主催=(一社)日本弦楽指導者協会三重県支部・弦楽演奏会実行委員会・合同演奏会実行委員会・みえ県民文化祭運営委員会・三重県。
サラサーテ「ツィゴイネルワイゼン」、サン=サーンス「序奏とロンドカプリチオーソ」、ベートーヴェン「トルコ行進曲」などを独奏、合奏、オーケストラなどで演奏する。整理券は近藤楽器店・谷楽器店ほか。事務局の野上さん☎059・231・3003。
◆パソコン講座in関西ビジネススクール 8月24日(月)10時~16時、鈴鹿市江島本町39─8、伊坂屋ビル2階の関西ビジネススクール鈴鹿白子校で。
主催は若者に対し就労に向けた支援を行う「若者就業サポートステーション・みえ」=津市羽所町、アスト3階=。対象は39歳以下の現在無業の人(在学中の人は除く)。集合場所は同校。定員20名。受講料無料。受講申し込みはサポステ・みえ☎059・271・9333へ。なお受講申し込みにはサポステ・みえの利用者登録が必要。

出品される静物画

出品される静物画

26日~30日の10時~17時(最終日は16時まで)、津市丸之内養正町のNHK津放送局1階のNHK津ぎゃらり~で、毎年恒例で今回で第22回目となる『茜会洋画展』が開かれる。
茜会は、1993年、柳瀬たか子さんが指導する絵画教室で学んでいた20名により発足。現在の生徒は、津市南新町にある柳瀬さんのアトリエで月2回開かれる教室で、静物や、自身が旅行先で見た風景などを題材に創作活動を行っている。
また年に2回、柳瀬さんが指導するほかの教室と一緒にスケッチ旅行に出かけているそう。
今展では、13名が、油絵の20号以下の小品を一人1・2点出品する予定。
柳瀬さんは「一人ひとりがテーマ・目的を持ち、それに沿って制作しているので、それを見て頂ければ」と話している。

朝、家のまわりを掃除して車庫の前まで行ったら、通りに、ガマガエルが車に轢かれて死んでいました。前日の夕方は見かけなかったので、多分、前夜か早朝にやられたにちがいありません。この炎天下、ほっておけばやがて干からびて土ほこりになって消えてしまうことでしょう。
でも、あわれといえばあわれです。それに車庫の前というのも気になります。そこで、そのガマガエルの亡骸をきれいな白い紙袋におさめて、少し離れた市有の空き地まで持って行き、朝露にぬれた夏草の根元にていねいに葬ってやりました。
たかがこれしきのこと…、です。ところが私にとって、ガマガエルにはいささか因縁めいた思い出があるのです。私の父は、陸軍法務官として支那事変、太平洋戦争に参加し、長く中国各地、ビルマなどを転戦しました。
その間、かの地で得たマラリアが悪化して、終戦の直前に内地の陸軍病院に送還され、終戦を迎えました。終戦後は、郷里(現在の紀北町)に帰ったものの、戦地から持って帰った病が進行して、昭和23年4月に42歳で亡くなりました。私は13歳でした。
母から聞いた話です。帰郷して治療中だった父が頭痛に悩んでいたある日、ガマガエルが父の夢に現われたそうです。ガマガエルが言うには、「おれを殺して黒焼にして飲むがよい、そうしたらお前の頭痛がおさまる」と。
ガマガエルには、目の後ろに細長い耳線があり、有毒な液を分泌することがわかっています。中国では、この耳線からの分泌液を集めて乾燥し、薬として強心、鎮痛、解毒などに用いるそうです。父は、このことを中国にいたころ知って、頭のどこかに残していたのかも知れません。
私には、直接的な父の思い出は薄れてしまってほとんどありません。それなのに、母から聞いていた父が見た夢の話は、数少ない父の思い出の中に残っています。あの日の朝、ガマガエルの哀れな姿を見た時、この夢の話を直ぐに思い出しました。
ついでながら、「ガマの脂」で知られるガマガエルの標準名は「ヒキガエル」です。でも、ガマガエルというほうが何だかとおりがよさそうです。近づいても動じることなく悠然としている姿には、ある種の貫祿を感じてしまいます。年々生息環境が狭くなり、まち中で輪禍にあったりするのは、彼らにとっては気の毒なことと言わねばなりません。
サン・サーンスの作品に「交響詩《オンファールの糸車》」という曲があります。珍しい曲名にひかれてCDを買ってきました。糸車の回る音を巧みに表現した面白い曲です。ところが、あの日の朝以来、私には糸車の回る音がガマガエルの鳴き声に聞こえるのは不思議です。

(元・三重県総合文化センター副総長兼文化会館長)

朝、家のまわりを掃除して車庫の前まで行ったら、通りに、ガマガエルが車に轢かれて死んでいました。前日の夕方は見かけなかったので、多分、前夜か早朝にやられたにちがいありません。この炎天下、ほっておけばやがて干からびて土ほこりになって消えてしまうことでしょう。
でも、あわれといえばあわれです。それに車庫の前というのも気になります。そこで、そのガマガエルの亡骸をきれいな白い紙袋におさめて、少し離れた市有の空き地まで持って行き、朝露にぬれた夏草の根元にていねいに葬ってやりました。
たかがこれしきのこと…、です。ところが私にとって、ガマガエルにはいささか因縁めいた思い出があるのです。私の父は、陸軍法務官として支那事変、太平洋戦争に参加し、長く中国各地、ビルマなどを転戦しました。
その間、かの地で得たマラリアが悪化して、終戦の直前に内地の陸軍病院に送還され、終戦を迎えました。終戦後は、郷里(現在の紀北町)に帰ったものの、戦地から持って帰った病が進行して、昭和23年4月に42歳で亡くなりました。私は13歳でした。
母から聞いた話です。帰郷して治療中だった父が頭痛に悩んでいたある日、ガマガエルが父の夢に現われたそうです。ガマガエルが言うには、「おれを殺して黒焼にして飲むがよい、そうしたらお前の頭痛がおさまる」と。
ガマガエルには、目の後ろに細長い耳線があり、有毒な液を分泌することがわかっています。中国では、この耳線からの分泌液を集めて乾燥し、薬として強心、鎮痛、解毒などに用いるそうです。父は、このことを中国にいたころ知って、頭のどこかに残していたのかも知れません。
私には、直接的な父の思い出は薄れてしまってほとんどありません。それなのに、母から聞いていた父が見た夢の話は、数少ない父の思い出の中に残っています。あの日の朝、ガマガエルの哀れな姿を見た時、この夢の話を直ぐに思い出しました。
ついでながら、「ガマの脂」で知られるガマガエルの標準名は「ヒキガエル」です。でも、ガマガエルというほうが何だかとおりがよさそうです。近づいても動じることなく悠然としている姿には、ある種の貫祿を感じてしまいます。年々生息環境が狭くなり、まち中で輪禍にあったりするのは、彼らにとっては気の毒なことと言わねばなりません。
サン・サーンスの作品に「交響詩《オンファールの糸車》」という曲があります。珍しい曲名にひかれてCDを買ってきました。糸車の回る音を巧みに表現した面白い曲です。ところが、あの日の朝以来、私には糸車の回る音がガマガエルの鳴き声に聞こえるのは不思議です。

(元・三重県総合文化センター副総長兼文化会館長)

[ 5 / 8 ページ ]« First...34567...Last »