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2015年10月
前回に引き続き、独自の取り組みで林業の新たな可能性を見出し、様々なことに挑戦している『三浦林商』=津市美杉町丹生俣=の三浦妃己郎さん(48)に間伐による森林再生や木質バイオマス発電、自社で実践していることなどについて聞いた。 (聞き手は本紙報道部長・麻生純矢)
──放置された人工林は薄暗く、木が混み合い細くなっていますが、再生することは可能ですか。
三浦 放置されて細い木ばかりになった人工林は〝線香林〟と呼ばれており、間伐しても風が入り倒れるので再生できないという専門家も多いが、私の経験ではそのような人工林でも、間伐の工夫次第で、価値のある森林に再生させることに成功してきた。
──津市では、バイオマス産業都市構想を打ち立て民間企業との協定を結び、木質バイオマス発電を実施する計画が進んでいます。この燃料には間伐材も含む地域産の木材等を使うことで、林業振興につなげようとしており、供給量を当初年間5000tから2万5000tにまで増やしていく計画を立てています。
三浦 現在の供給量ではその計画の実現には、間伐材(放置材)どころか、建築用木材などの有用材も燃料にしなければ足りなくなる。需要と供給のバランスを考えた木質バイオマス発電の計画が必要だ。
──あくまで間伐材(放置材)の消費を増やす手段であって、一時しのぎの収入を得る手段であってはならないということですね。林業の衰退を端的に表現するなら「危険なわりに低収入」という実情があると思います。新しい取り組みで林業を盛り上げている三浦さんは、どのようなことを実践されているのですか。
三浦 昔はつらい仕事でも、高収入なので人気があった。そこから考えると今後は木材価格を上げていくことが必要となる。ただの値上げではなく付加価値を高めることが重要だ。まずは木材の生産履歴(トレーサビリティ)を証明すること。国内はもちろん海外に人気のある日本の木を販売していく上でトレーサビリティは必要不可欠。食品などと違って木材は木を切った場所ではなく、製材した場所が産地になるのが常識になっているが、津市の山間部は、実は世界に誇る優良材の産地、紀伊山地(木い産地)なのだから自信を持ってアピールしていけば良い。
優良材の普及を図るためNPO法人もりずむを設立し、これらのトレーサビリティの徹底に加え、伐採から販売までの間、付加価値を高める努力をしている。例えば木を上斜面方向に倒すことで、加速度がつかず木へのダメージを抑えることができる。
その後、葉をつけたまま3カ月~1年余り「葉枯し乾燥」させる。葉が幹の水分を吸い上げるので半分以下の重さになる。色が良くなり、フェノール(防腐抗菌成分)が形成され、狂いも少ない材がとれる。
山林で乾燥するだけでなく、製材後も天日と谷風で自然乾燥を行う。こうして有効な成分が十分に含まれた木製品が完成する。軽くなるので運搬コストも減るし、乾燥に燃料も使わないのでとてもエコと言える。
更に付加価値を高めるため新月伐採(月齢伐採)も行っている。新月に向かう時期に木を伐ると、狂いにくい、腐りにくい、燃えにくいと言われており、欧州では一般的に認識されている。昔は日本でも月の満ち欠けにより木を伐る日を決めていたそうで伊勢神宮の御杣始祭(2005年6月3日)も丁度新月4日前。
もりずむでは京都大学に協力を頂き、月の満ち欠けによって樹木の細胞が変化していく様子を調べている。今の段階では下弦の月あたりの木の状態が一番良いと思う。新月伐採については効果が全て解明されていないが、探究していく姿勢が大事。それが1本あたりの価格を押し上げていく原動力になる。従業員さんも考える余裕もでき、より安全に気を配り、良い仕事をしてくれる。(次号につづく)
2015年10月22日 AM 5:00
久居城下案内人の会は11月1日(日)9時~12時(受付8時半~)、久居藩350周年に向けて「平成27年度・久居ふるさと親子ウォーク(桃園地区)」への参加者を募集している。後援=津市教委、協賛=県酪農業協同組合。小雨決行。予備日11月8日。
テーマは「雲出川の氾濫を見てきた三地蔵」(5㎞)。コース…9時・久居公民館~光明寺(昔話・ひっこし観音)~物部神社~宝樹寺~(雲出井に沿って)~栄松寺~川方城跡~12時・久居公民館。
参加対象は小中学生(小学生は保護者同伴)。一般も参加歓迎。
参加費は100円(保険料・資料代)。おみやげプレゼントあり。
申し込みは、氏名(学校名・学年も)、住所、電話番号と「ウォーク申込」と書いてFAX(059・255・0960)または電話☎080・1556・4559森下さん。
締め切りは10月26日(月)必着。
2015年10月22日 AM 4:56
三重県名張市蔵持町にあった蔵持国民学校(現在の名張市立蔵持小学校)が昭和20年6月9日の午後に米軍戦闘機の機銃掃射を受け、同校二階の講堂の北側にあったアップライト・ピアノが3発の機銃弾で被弾した事件がありました。これはその機銃掃射事件を詳らかにするものです。
阪神地区の大阪市や神戸市の空爆を終えた米軍「ボーイング スーパーフォートレスB─29爆撃機」が同市上空をかすめて熊野灘に離脱、あるいは名古屋市や岐阜県の爆撃目標地に向かう際に名張市上空を飛行した。名張市は、B─29や同機を援護する戦闘機「ノースアメリカンP─51ムスタング」や、滋賀県の八日市飛行場などを攻撃するために太平洋上の航空母艦から飛び立った艦載機の「F─6─Fグラマン・ヘルキャト、F4Uコルセア戦闘機」などの飛行ルートだったわけです。
この6月9日から少し遡る6月5日には、1機のB─29が名張市の青蓮寺に撃墜されています。これは神戸市を爆撃後、右旋回して名張市上空から熊野灘に離脱しようとしていた同機(機長アーノルド大尉、第58爆撃航空団所属、テニアン島西飛行場、機体番号44─69996)が名張市上空で三重県伊勢市明野の陸軍飛行第111戦隊の西村光義大尉が操縦する「5式戦闘機」に午前9時頃に撃墜されたものです。この事件により名張市市民の方々にも戦争の影が身近なものになってきていました。
6月9日、日本時間の午前8時29分、太平洋上の硫黄島基地の中央滑走路から、アメリカ陸軍航空隊、第7戦闘機コマンド、第21戦闘機大隊所属の第64、72、531戦闘機中隊の「ノースアメリカンP─51ムスタングD─20─NA」戦闘機が「日本本土中京地区の陸海軍飛行場に機銃掃射をせよ」という命令を受けて発進しました。
第46戦闘機中隊は16機で第一攻撃目標は岐阜県の各務ヶ原飛行場に機銃掃射を浴びせることがその主任務でした。第72戦闘機中隊は15機で各務ヶ原飛行場、第二目標は愛知県の明治基地でした。第531戦闘機中隊は21機で各務ヶ原飛行場、第二目標は明治基地、第3目標は静岡県の浜松飛行場でした。合計54機がこの日の機銃掃射任務に就いたわけです。
マリアナ諸島を基地とするアメリカ第20航空軍のB─29は、1945年(昭和19年)11月24日の中島飛行機武蔵野工場に対する爆撃を皮切りに日本本土空襲を開始。翌年の3月10日の東京大空襲を契機として、日本各地の空襲は日常化することになります。
4月7日、硫黄島を占領直後からP─51がB─29に随伴飛行するようになり「戦爆連合」が確立されました。
B─29とP─51の日本侵攻パターンはまずマリアナ諸島の基地からB─29が発進し、途中硫黄島から発進したP─51と合流(ランデブウ)し、P─51はB─29に先導されて日本に侵入、B─29の爆撃援護、またはP─51が機銃掃射をした後、帰路は再びB─29に先導されて硫黄島の基地に戻る手はずになっていました。
P─51群が攻撃中は先導機のB─29は日本沿岸上空を旋回して待機。P─51群は30分~60分で任務を終え、B─29が待機する集合場所に戻らなくてはなりませんでした。
これら3戦闘機中隊のうち、第46戦闘機中隊の「青小隊、小隊長コービン中尉」が率いる4機が各務ヶ原飛行場に向かう途中に三重県の北伊勢陸軍飛行場(亀山市能褒野町から鈴鹿市広瀬町に広がっていた)に機銃掃射を浴びせるために編隊飛行から離脱しました。この時間、およそ日本時間の午後12時過ぎのことです。
以下は硫黄島基地から発進したときの、この中隊の編成です。
◆赤小隊:ウオーレン大尉、ホフ、コイル、パースレイの各中尉◆黄小隊:ゴードン、ロビンソン、スローン、ダンの各中尉◆青小隊:コービン、キルキュースキーその他二名の中尉◆緑小隊:メットカーフ、ノーフ、ブリーン、ノーリンの各中尉◆予備機:ゲルリッチ、ロワーズ、コービン、ドラブスの各中尉
「青小隊」は北伊勢陸軍飛行場の北方面から南方面にかけて飛行機格納庫、建築物、軍事施設等に機銃掃射。その後「臨機の攻撃目標」に機銃掃射を繰り返します。「臨機の攻撃目標」とは、予め決められた攻撃目標ではなく攻撃に値すると考えられる「標的」に対してパイロット自身が判断して攻撃するもので、B─29スーパーフォートレス爆撃機にもこれはありました。(次号に続く)
2015年10月22日 AM 4:56